2017年1月8日日曜日

長崎原爆:「救護被爆者」がん多発



長崎に原爆が投下された直後、長崎県大村市の「大村海軍病院」に収容された被爆者らを救護した軍医や衛生兵、看護師らが、がんや肝機能障害、白内障などを、一般より高い率で発症していることが、弁護士らの調査で分かった。

被爆者援護法は、広島・長崎市外で救護活動に携わった人も「救護被爆者」として原爆症認定の対象にしているが、認定例は報告されていない。調査に加わった澤田昭二・名古屋大名誉教授(素粒子物理学)は「被爆者の衣服や髪に付いた放射性微粒子を医療従事者が吸い込み、体内で被ばくし続ける内部被ばくによる健康被害の可能性が高い」と指摘。調査結果は、救護被爆者の原爆症認定に向けた一助となりそうだ。

調査は05年11月~06年11月、同病院の元職員約700人に救護状況や健康状態に関する質問状を送付して実施。遺族を含め約120人から回答があり、うち実際に救護活動に当たった人は73人(男性32人、女性41人)だった。救護被爆者への原爆放射線の影響に関する調査は過去に例がない。

1945年8月9日の原爆投下後、長崎市の北約20キロの同病院には、救援列車やトラックで被爆者千数百人が運び込まれ、約860人の病院職員が救護に当たった。
全国で266人の被爆者が起こしている原爆症認定訴訟の原告に、当時の同病院看護師1人も参加。同病院で救護に当たった人にがん死亡者が異常に多いと聞いたことから、近畿弁護団が統計の専門家と共に調査した。

調査結果は、被爆者278人、非被爆者530人を対象にした「04年くまもと被爆者健康調査プロジェクト04」などと比較して分析。同病院の救護被爆者73人のうち25人(34.2%)ががんを発症しており、「くまもと04」の非被爆者の発症率(9.7%)や遠距離・入市被爆者(19.9%)よりも高率だった。また、肝炎の発症率も「くまもと04」の非被爆者の約2倍。白内障や変形性関節症、前立腺肥大(男性)の発症率も、他調査での非被爆者に比べて高かった。脱毛や下痢など被爆者特有の急性症状も多くの回答者にみられた。

被爆者手帳所持者のうち、疾病が原爆に起因し治療が必要な「原爆症」と認定された人には医療特別手当が支給されるが、認定は手帳所持者の1%未満の2242人。爆心から2キロ以遠の「遠距離被爆」や、被爆地に後日入った「入市被爆」でも、ほとんど認定されていない。

救護被爆として手帳を所持する2万5566人については、放射線の影響はほとんどないとして、原爆症認定申請を却下されてきた。

 (毎日新聞 2007.08.04)


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2016年12月1日木曜日

[13コメント] 卒業生の半分は行方不明!? 「東京藝大」に生きる愛すべき変人たち(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)


『最後の秘境 東京藝大』(新潮社刊)が売れている。ベールに包まれてきた「芸術の園」のなかで伸び伸びと生きる「変人」たちの生態。読むと、なぜだか元気が出ると評判なのだ。 「あの、ハレンチな出で立ちですからね、最初見たときはもうびっくりしましたよ」 『最後の秘境 東京藝大』の著者、二宮敦人氏がこう回想するのは、「東京藝術大学」の女性ヒーロー「ブラジャー・ウーマン ...


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2016年11月8日火曜日

@ryoigarashi 五十嵐良

安倍内閣だと送検→おとがめなし



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2016年11月2日水曜日

東電社員の労災申請 戻って欲しい現場重視

多くのメディアが取り上げている東電社員の労災申請だが、個人的にも様々な思いがあるのでチェックしてみたい。末尾に掲げた本人のFacebook文章がコピペできればいいのだが、報じられている内容と若干ニュアンスが違うようだ。東電広報室は「労災の認定は、所轄の労基署が判断すると認識している。個別の事案に対する回答は差し控える」とコメントしており、また当然ながら(?)東電労組の対応も見えないので躊躇したが、 東電からは「11月5日に療養期限満了で解職する」との通告がある中で考えざるをえない。以下、と...

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2016年7月4日月曜日

がん、自閉症、予防接種ワクチンと医師たちの謎の死

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2015年、同時期に米国で代替医療の医師たちが突然の不可解な死を遂げました。この事件は様々の憶測が飛び交い、ある一つの仮説が浮上しています。それは、現代医療関係者には都合の悪い治療の真実を突き止めた医師たちが抹殺されたというものです。

このような内容に触れると陰謀論のカテゴリに入れられ、トンデモ記事になりがちですが、医師たちの行ってきた活動と連続した不可解な死の事実関連をあなたならどう解釈しますか?


ほぼ同時期に不可解に亡くなった医師の共通点


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Dr. ジェフリー・ブラッドストリート 代替医療と自閉症治療のスペシャリスト。

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Dr. ニコラス・ゴンザレス 代替医療とがん治療のスペシャリスト。

彼らは現代医療の現実を知り、今の主流医療法ではないアプローチを推進していた医師です。自閉症とがんの深い関係について真実を知っていた二人は命を落としました。この二人に一体どんな関係が?

■Dr. ジェフリー・ブラッドストリートの死■
2015年6月15日、ノースカロライナ川で死体となって発見された。彼の胸には銃弾跡があった。当局はすぐに死因を自殺と判定。家族は、どうして自殺する人間がわざわざ川まで行って自分の胸を撃って命を絶つのか、と他殺を主張。

だが、この死亡事件は非常に不可解な状況のまま片付けられています。

彼の死の前、FDAエージェントと法執行機関が自閉症患者への治療禁止とGcMAFの研究中止のため彼のクリニックへ捜査が入っており、使用についての情報収集の為、全ての記録が押収されています。

GcMAFとは?

人間が本来持っているが、体内で眠ったままの状態で働いていない強力免疫細胞(マクロファージ)を活性化させる史上最強の物質と言われています。この細胞が体内活動すると、癌、自閉症、ウイルス・細菌、パーキンソン病などあらゆる病気を治癒するとされ、その治療法はマクロファージ活性化療法と呼ばれています。(当然、日米ともに未認可治療です)

日本ではこの治療を取り入れているクリニックがあります。詳しくはこちらのサイト

GcMAFは、薬ではなく体内で生成される自然物質の為、副作用も殆ど無く安全とされています。この治療法による研究は1990年代から行われており、GcMAFに関して多数の報告があります。

ブラッドストリートは、ヨーロッパで生成されたGcMAFを患者に使っており、この治療法の啓蒙活動を積極的に行っていました。

また、彼は自分の患者にGcMAFを用いた治療結果を科学医学雑誌で発表していました。実際、医学研究では、末期がん患者に対するGcMAF効果が示されており、高い効果が証明されています。

彼は、自閉症の子供の血中には高いレベルのNAGALASと言われる酵素タンパク質があることを発見しました。これは、がんや自閉症などを治癒できる体内の強力免疫細胞(マクロファージ)を不活性状態にしてしまう悪の物質であることを突き止めたのです。

そこで、GcMAFを使って400人のNAGALAS値の高い自閉症の子供を治療したところ、80%近くの子供達の好転反応を確認しました。

他の研究結果でも1,500人の自閉症の子供のうち85%が高いレベルのNAGALAS値を持ち、そのうちGcMAFによって70%が症状の緩和などの好転反応、15%は完治、15%は反応無しという顕著な結果を残しています。

ブラッドストリートの息子は、1歳時、MMRワクチン接種後脳障害を起こしました。それから彼は予防接種とワクチンの関係性について活動を起こし、議会で証言もしています。

続いてもう一人の医師の死です。


■Dr. ニコラス・ゴンザレスの死■
2015年6月21日、心臓発作により死亡。検死結果では、健康状態は良好と報告されている。彼は、癌になった女優のスザンヌ・サマーズの治癒に関わっていたことでも知られていました。

ゴンザレス氏は、化学療法に使われる100以上の薬が人体に及ぼす危険性や破滅的歴史について暴露しており、代替医療に従事していたホリスティック(全体)医学の医師でした。

健康体を維持し、病気にも精通していた医師の突然の心臓発作による死に多くの疑念が持たれています。

ほぼ同時期に亡くなったこの二人の医師とワクチンビジネスの関係をもう少し追ってみます。


予防接種ワクチンとがんと自閉症の恐るべき関係


GcMAFを使ったブラッドストリートによる自閉症の子供の治療効果は明らかで、彼が積極的な活動を行っていたのはうなずけます。

しかし、このNAGALASは、がん細胞あるいはウイルスに感染したリンパ球が分泌する酵素で、何かしらの要因で体内に取り込まれる為、自閉症の子は高いレベルで血中に存在することが分かっています。が、全ての子のケースには当てはまっていません。

つまり、がん細胞やウィルス感染経由が認められずにNAGALASを高いレベルで持っている自閉症の子供たちは、一体どこで体内に取り込まれたのでしょうか。

実は、Dr.ブラッドストリートとDr.ゴンザレス以外にも同年2015年に米国フロリダで6月〜10月のわずか5ヶ月の間に実に10人もの医師が死亡や消息不明となっているのです。彼らは共通して現代医療を取り入れずに治療をするホリスティック(全体)医学の医師たちでした。

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↑ 2015年6月19日〜10月29日の間に死亡、消息不明となった12人の医師たち

米国のサイト上では、彼らは予防接種ワクチンの中にこのNAGALASが混入されていて、自閉症の子やがん細胞を生成する原因を作っていることを突き止め、公表する準備をしていたが、その前に次々に殺されたという記事が多数あがっています。

そうなると、主活動をしていたブラッドストリートのクリニックの資料が全て押収されたことにも関係が!? と、ミステリーな話をしたところで、まさに『死人に口なし』状態で真相は闇に葬り去られたままです。

しかし、これを事実と捉え、今の世の中の仕組みを考えると、多くの人たちは、「NAGALASの入った予防接種によって強力免疫細胞(マクロファージ)を不活性状態にさせ、病気になりやすい体となり、最後はがん治療へ」という現代医療システムのレールに乗るように仕組まれていると考えてもおかしくはない気がしてきますね。

まあ、そこまで飛躍した考えをせずともGcMAFを用いた治療法の効果が全くメディアでも取り上げられず、国が承認せずに医学会でも取り上げられない理由が見えてきます。

はっきりいえるのは、これが世の中の主流治療となってしまったら、製薬会社、病院は潰れ(&メディアはスポンサーを失う)、多く現代医療を行っている医師は職を失うということです。現代医療に関わる世界経済規模は計り知れません。

さて、この一連の事件をどう解釈すべきでしょうか?単なる連続した偶然の死?他にもGcMAFを推奨している医師は、この事件をきっかけに声を大に公とすることはなくなってしまうのでしょうか。(それこそがまさに思う壺ですが・・)

(参考:Is The U.S. Medical Mafia Murdering Alternative Health Doctors Who Have Real Cures Not Approved by the FDA? , WHO IS KILLING THE HEALERS AND WHY?)


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2016年6月6日月曜日

甘利氏、国会終わったら睡眠障害直る、政治活動再開だと

何で舛添が駄目で甘利が良いのか、さっぱりわからない。 舛添に対しては連日、どこの...

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1945年6月5日 アメリカ軍による神戸市街地攻撃命令 「作戦任務第188号」


◎ 作戦任務第188号

1,日付:1945年6月5日
3,目標:神戸市街地(90.25-11)
5,出撃爆撃機数:530機
6,第1目標爆撃機数の割合:
89.87%(第1目標473機)
7,第1目標上空時間:
6月5日7時22分~8時47分
8,攻撃高度:13,650~18,800フィート
(約4160 ~5730m)
10 ,損失機数:11機
11 ,作戦任務の概要:
市の約3.8平方マイル(約9.8 km2)と神戸の東方0.5平方マイル(約1.3 km2)を破壊した。番号を付した工業目標9か所に損害を与えた。市の損害累計は8平方マイル(約20.7 km2)、市の建物部分の約51%。

◎a.作戦開始日の選定

前回の神戸への焼夷弾攻撃(作戦任務第43号)は、重要な工業目標を含む神戸の一定区域に損害を与えることができなかった。他の都市地域への攻撃での経験から、もう一度焼夷弾攻撃を行えば、神戸を焼夷弾攻撃目標からはずせるであろうと考えられた。別の焼夷弾攻撃目標への攻撃計画が立案されていたが、神戸の天気予報が良好であったので、6月5日に集中的打撃を与えることが決定された。

◎b.目標の重要性

神戸は、日本の最も重要な輸送中枢であり、重工業、造船業並びに船舶業者が多く存在している。この作戦任務に割り当てられた目標地域は、いくつかの大きな製鉄工場、ゴム工場、重要な鉄道駅、商業地区の一部と建築物密集地域を含んでいる。

◎神戸に投下された爆弾

M47A2焼夷弾は、瞬発弾頭による起爆装置をセット。
T4E4破砕集束弾は、目標区域内にいる編隊の全機より下で作動するのを確保するために、機下3000フィート(約910m)で作動するように起爆装置をセット。
M69焼夷弾(E46集束焼夷弾)は最適な貫通力と弾着角度を確保するために、目標上空5000フィート(約1520m)で作動するように起爆装置をセット

◎この昼間の焼夷弾攻撃は、横浜への攻撃とほぼ同じように計画。主な違いは、爆撃高度が、横浜攻撃では18000フィート(約5490m)又はそれ以上、神戸では11000~15000フィート(約3350~4570m)の範囲であったこと。

全文はこちら


神戸大空襲」から引用。

6月5日

東京や大阪を焼き尽くしたあのB29が、とうとう神戸にやってきたのです。

最初の神戸大空襲は3月17日でした。

約70機のB29が深夜の神戸を爆撃しました。

照明弾の明かりで、はるか上空に、銀色の不気味な機体が、いくつも、浮かび上がったのを覚えています。

このときの空襲では、私のすんでいる地域には、殆ど被害はありませんでした。しかし、神戸市の西部では多くの被害を出し、約2500人の死者を出しました。

この日以降、小学校の授業は中止され、田舎に縁故のある子供達は縁故疎開に、縁故のない子供達は集団疎開することになります。

私の場合は、その年の4月から、集団疎開で、岡山の田舎のお寺で疎開生活を送っていました。

そして、6月5日、前回をはるかに上回る、350機のB29の大編隊が神戸を襲いました。

2時間以上もの間、東京大空襲の約2倍の、3000トンもの焼夷弾を、この狭い町に、繰り返し、繰り返し、投下したそうです。

このときの空襲では約3000人の死者が出たそうです。

空襲がどんなに恐ろしいものかは経験した人でないとわからないでしょう。

実は、私も経験していません。

以下、父や、兄から聞かされた神戸大空襲の恐ろしく、悲しいお話です。

 敵機来襲

警戒警報のサイレンが鳴り、ラジオからは敵機来襲の第一報が入ります。

B29の大編隊が和歌山県の潮岬上空を北上中。

神戸の人々は遂にやってきたかと覚悟を決めました。

日本中の多くの都市が空爆され、今この時期に潮岬上空にB29の大編隊が現れたとすれば次の目標は神戸以外に考えられなかったからです。

男達は戦闘帽に、戦闘服、ゲートルに地下足袋で身を固め、女達は防空頭巾をかぶりモンペをはいて消防団に参加して街角に待機します。

家の中の、あちこちには、水の入ったバケツが並べられ焼夷弾の投下に備えます。

当時、私の家には父母と長兄、次兄の4人が住んでいました。

私の母は病弱だったので、予め、近くの防空壕へ避難しました。

やがて、不気味な爆音とともにB29の大編隊が神戸上空に姿を見せました。

遥か高空でありながら、1機や2機ではありません、350機にも登る大編隊だったので、エンジン音が地上まで届くのです。

敵機来襲というのに日本の飛行機は全く飛んでいません。

戦争末期で飛べそうな飛行機は殆ど前線に集められており本土防衛にまわす余裕もなかったのです。

時々どこかで高射砲を打ち上げる音がしますが、敵機までは届きそうにありません。

全く、無防備の状態で神戸の町は焼き尽くされようとしています。

焼夷弾

神戸は海と山に囲まれた東西に細長い町です。

この町に正確に焼夷弾をばら撒くためでしょうか、まず1機がやや低空に下りてきて町の周辺部に焼夷弾を投下します。

燃え上がる焼夷弾や家屋の炎で、町の輪郭が浮かび上がります。

そして、本格的な爆撃、B29の大編隊は燃え上がった輪郭の内側へ絨毯爆撃をくりかえし、神戸の町を火の海にしたのです。

無数の焼夷弾が雨あられのように降り注がれてきます。、

数発の焼夷弾が我が家の屋根を貫くのを見た長兄は、頭から水をかぶるなり、二階へ飛んであがります。

用意していたバケツの水を火の玉にぶっ掛けますが全然消えません。

水をかけた程度では消えない特殊な油脂が、柱や壁にこびりつき火の手を強めていきます。

追い討ちをかけるように何発かの焼夷弾が我が家に突き刺さり、とても消火どころではありません。

どの家でも同じようなことになっていたのでしょう。

火の海の中で

あちらでも、こちらでも火の手が上がり、焼け出された人々は、とりあえず、近くの電車道へ避難します。

普通の火事であれば少し広い場所へ出れば熱気や火炎から離れることができます。

空襲で町全体が火の海となってしまうと、30メートルや40メートルの道路では避難場所にはなりません。

人々は、道路の中央で立ち往生していた市電の陰で熱気を避けようとします。

しかし、火事場風が巻き起こり、その風向きが変わるたびに、熱気の弱いところへと悲鳴をあげて逃げ回ります。

このままでは焼き殺されてしまうと思った私の家族は、防空壕に避難している母を連れていっしょに逃げようとします。

猛烈な火勢で小さな防空壕が竈のようになってしまいそうだったからです。

しかし、母はその場を動こうとしなかったそうです。

猛烈な火勢を見て、自分の体力では、とても逃げ切れないと悟ったのでしょうか。

その場でどんなやり取りがあったかは聞いていません。

父と2人の兄は仕方なく防空壕を飛び出し、猛火の中をどこへとも知れず逃げ延びたようです。

互いの安全を確かめる余裕もないほどの、火の海の中を、散り散りばらばらになって。

火の手が静まった翌朝、父と長兄は、我が家の焼け跡に戻ってきました。

しかし、母と次兄は戻ってきません。

母は近くの防空壕の中で息絶えているのが見つかりました。

次兄はその時中学1年生でした。

入学祝に買ってもらった愛用の自転車に乗っていました。乗りなれた自転車で、いち早く逃げていくのを、父と長兄は、あの時、見送っていたのです。

必ず生きていると信じながら、父と長兄は次兄を探しつづけました。


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