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白独蘭・国境生活
2010年4月 3日 (土)
2030年までに世界中で再生可能エネルギーを100%にできる!
エイプリルフールはもう過ぎたので、タイトルを信用してください。
少なくとも、スタンフォード大学のJacobson教授たちは、ベルリンで技術的に可能であると報告したのです。報告内容の前に、ドイツの首都ベルリンで3月に開かれた、「ドイツ・アメリカ エネルギーの日」という、新しいエネルギーのあらゆる側面を網羅した会議について、少し触れておきたいと思います。
この会議で独米商工会議所は、米政府はエネルギー効率化や再生エネルギー促進に700億ドルを用意する見通しなので、ドイツ企業がアメリカで投資するには今が好都合だとアピールしました。
ところで、アメリカと中国との間には、省エネルギー技術、再生可能エネルギー、電気自動車、スマートグリッドなど、中国のエネルギー政策の変革に必要なすべての主要分野において、中長期的に相互協力を行うという、戦略的な協定がすでにあるそうです。どうやら、日本はすっかり出遅れたようです。
そして今度は、50以上の国の手本となった法令を定め、多くの雇用を生み出し、再生可能エネルギー技術の分野ではトップランナーといえるドイツの企業を誘致しようとは、アメリカはなかなかしたたかです。
一方日本の経済界やメディアは、鳩山政権の野心的な25%削減宣言に対して、経済に悪影響を及ぼすとか国民負担が増えるとか、アメリカや中国が削減しないのに不公平とか、反対意見のオンパレードで、建設的な議論はみられません。
しかも、経産省の審議会が「エネルギー基本計画」を見直すからと2回目の意見募集をしていますが、温暖化防止には問題だらけの原子力発電を増やすしかないというような、旧態依然の審議会のようなやり方で旧態依然の利権を温存する政策内容しか出てきません。
原発の問題については書き出すときりがないので、もう一つのブログ「原子力エネルギー問題に関する情報」をご覧ください。日本政府がいつまでもモタモタしている間に、削減目標こそは日本に見劣りするものの、アメリカと中国の政府は着々と将来に向けてエネルギー政策の変革を進めているのです。
鳩山政権は、公約どおりの政治主導でもっと大胆に、欧州のような化石燃料に依存せず持続可能なエネルギー社会に変革するための、包括的な「気候変動・エネルギー政策」を策定し、専属で取り組む行政機関として新たな省庁を設置するべきです。ドイツのように環境省主導にすると、これまで長年温暖化ガス削減の足を引っ張ってきた経産省との縄張り争いに終始して進歩がないので、英国やデンマークのような「気候変動・エネルギー省」を作るべきでしょう。
閑話休題。
ベルリンで開かれた独米エネルギー会議では、Energy Watch Groupによる研究報告もありました。
これが、冒頭の「2030年までに世界中で再生可能エネルギーを100%にできる!」という、Mark Z. Jacobsonと、Mark A DeLucciという二人の教授による発表です。ドイツでは、4分の3の人々が、電力はすべて再生可能エネルギーで供給してほしいと願っている一方で、半数は技術的に実現可能か懐疑的だそうですが、Jacobson教授らは技術的には可能というのです。
<内容の概略>
風力(波力も含める)、水力(潮流や地熱も含める)、太陽光による発電を柱とし、今日すでに普及あるいは技術的に完成したもので、原料調達、建造、施設の閉鎖などあらゆる段階において、温暖化ガスや有害物質が最小限しか放出されないことが前提。
したがって、原子力発電、バイオ燃料発電は考慮に入れない。20年間に100兆ドルくらい投資することになるが、化石燃料や原子力発電所の建設費、燃料費、健康・環境安全対策(私は、この対策がこれまで蔑ろにされてきたので、本気でやればはるかに高くなると思います)に最低限かかる費用も同程度。
電池に使うリチウムなど、特殊な稀少原料不足がネックになるかもしれないが、リサイクルや技術革新によって乗り越えられるだろう。
越えねばならない壁は、従来のエネルギー供給側の利権を手放したくないロビイである。
立法者(すなわち国会議員)は、再生可能エネルギーの普及を促すための法令、コスト削減への誘導策、従来のエネルギーに対する補助金削減などにより、ロビイストの影響(というより抵抗でしょう)を克服しなければならない。
そして、この報告にあるようにロビイストの影響を克服するために、ピークオイルを過ぎて持続可能なエネルギー政策に必要な経済利益にとらわれぬ科学的な情報を広く提供する必要があると、欧州の国会議員と世界中の専門家たちが2006年に設立したのが、Energy Watch Group(英語)です。発起人は、ドイツの国会議員で緑の党のエネルギー・技術政策担当Hans-Josef Fell議員。 他の国会議員は、ドイツ社会民主党の環境政策担当、スイスの経済学者、イギリスの全党ピークオイルグループの議長です。
さらに、欧州以外に中国や韓国からも専門家が約20名参加しています。
このような活動を通じて、真に有用な情報が多くの国々に広まっていくことを願ってやみません。
そのために、私たちにまずできることは、このEnergy Watch Groupを設立し活動しているような国会議員を、日本でも1人でも多く選んで国会に送り込むことです。
投稿者 ecoyoko 時刻 23時22分 政治・人権, 気候変動・温暖化 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
池田香代子ブログ : 1分に1人お母さんが死んでいる 国連人口基金キャンペーン
先日、電車やバスの中で席を譲ることについて書きました(こちら)。ご高齢の方について書いたのですが、席を譲られていい方がたは、ほかにもいます。ちいさな子ども、赤ちゃんを抱っこしたお母さんやお父さん、そしておなかの大きな女性です。私の兄嫁は妊娠中、乗っていたバスがおおきく揺れ、とっさにおなかをかばおうとしてポールで上腕を強く打ち、そこが悪性腫瘍になって亡くなりました。幼い子どもを遺して。
私自身、30年以上前になりますが、妊娠したとたん、ちいさな子どもを連れて歩くようになったとたん、社会の冷たさが身に染みました。この社会は女性に冷たい、とくに子持ちの女性には……その頃、頭の中で自動無限リピートしていた「呪文」です。今、少子化が心配されていますが、こんなに子どもや母親に冷たく当たる社会が、子どもが減ってあわてても、それは自業自得でしょうと言いたくもなります。子ども手当は、子どもや子育てへの冷淡さを改めて、より好ましい方向に社会の意識をもっていくための、インパクトのある政策だと思います。けれどそれだけでなく、助産師さんや産科のお医者さん・看護師さんへの厚遇、保育園不足の解消、ゼロ歳児保育や病児保育の充実、学校以外でも子どもが成長できる機会の提供などなど、子どもや子どもを育てる人びとにもっともっとあったかい施策が必要です。
それでも、赤ちゃんやお母さんを死なせないということでは、このくには長足の進歩を遂げました。妊産婦や新生児の死亡率の低さは世界で1、2を争うほどです。産科小児科の危機がもろに数字に反映して、それも危ういのが現実ですが、ともあれ、戦争直後には48人に1人のお母さんが、今ならどうということもない出産事故で命を落としていたことに比べたら、まさに隔世の感です。私もその頃の生まれですが、クラスに1人や2人はお母さんのいない子がいました。
江戸時代は、おそらく出生10万人あたり500人とか、そのくらいたくさんのお母さんが亡くなっていたでしょう。粉ミルクなどなかった時代です。もらい乳は珍しいことではありませんでした。子育てが近隣の助け合いなしにはありえなかったというのは、今考えればいいことでもあったでしょうが、それが母の死を前提にしていたのは、やはり悲しいことです。遺された夫の再婚も、幼い子どもたちの養育のためという面がおおきかったのです。
子どももよく死にました。7歳までは神の子と見られていて、産土神(うぶすながみ)がかわいいと思った子どもを手元に引き取るのだとして、子どもの死という悲しい体験を受け入れていました。ですから、子どもが死んでも、地域によってはお寺の墓地には葬りませんでした。七五三は、3歳5歳の節目にお宮に参って、子どもを取り上げないよう神さまにお願いする、7歳になったら子どもを人間社会に引き取るにあたってのお礼参りをするという行事でした。
家族が死ねば、人はもちろん悲しみます。けれど、いつまでも悲しんで仕事もしないのでは、生きていけません。それで、人は気持ちを切り替えます。「子どもはまたつくればいいんだ、女房はまたもらえばいいんだ」と。その気持ちの切り替えを少しでも楽にするために、常日頃から「女子ども」という言い方に明らかなように、女性や子どもの命を、人格を軽んじたのです。「女子ども」という言い方には、悲しい心のトレーニングという合理的な機能があったのです。
子どもや女性が人権を軽んじられないためには、ですから、まずは死なないことが重要です。それだけでは必要十分ではないことは、この社会を見れば明らかですが、それでも、とにかく死なないことがたいせつです。ところが途上国では、出生10万人あたり450人のお母さんが亡くなっています。100年前、イングランドとウェールズの妊産婦死亡は355人、スコットランドは572人、アイルランドは531人でした。21世紀になったというのに、途上国では100年前のイギリスと同じくらい、あるいはそれ以上にたくさんのお母さんが亡くなっているのです。サハラ以南のアフリカはさらに深刻で、統計すらない国も多く、統計がある国々を見ると、ガーナが560人、チャドが1500人です。
じつに1分に1人、年間536,000人のお母さんが、幼い子どもを遺して死んでいます。遺された子どもの死亡率は、10倍にはねあがるそうです。こうした現実に呼応して、途上国では「女子ども」の人権は羽毛のように軽く、女であり子どもでもある少女ともなると、水汲みにはじまる家事に追い立てられる存在でしかないこともしばしばです。
そんな現状をなんとかしようと、国連人口基金が、「お母さんの命を守るキャンペーン」を展開しています。私もサポーターです。「サポーターのひとこと」に書ききれなかったことを、ここに書きました。あなたも、よろしかったらサポーター登録してください。