2014年2月27日木曜日

【35カ月目の福島はいま】記録的豪雪に見舞われた白河市内の仮設住宅~双葉町・郭内応急仮設住宅

記録的な大雪は、原発事故でわが家を追われた避難者たちも襲った。観測史上最多の76㎝(2月15日15時現在)もの大雪が降り続いた白河市。JR白河駅近くの双葉町・郭内応急仮設住宅には、大雪から一週間以上経っても多量の雪が残る。間もなく4年目を迎える避難生活。仮設住宅をほぼ1年ぶりに訪れ、住民たちに話を聴いた。




【ドスンと落ちる雪への恐怖】


 「本当に怖かったのよ。屋根に積もった雪が固まりになってドスンって。ものすごい音をたてて落ちるのね。家がつぶれてしまうのではないかと思ったわ」


 高齢の女性は、玄関先でため息混じりに話した。玄関先は歩くには支障ない程度に除雪がなされアスファルトが顔を出しているが、周囲には多量の雪が依然としてうず高く積み上げられている。今にも泣き出しそうな表情。消え入りそうな声が、女性の恐怖心を表していた。


 自治会長の谷充さん(72)によると、郭内仮設住宅では55世帯、約70人の双葉町民が避難生活を送っている。大半が65歳以上。まして「浜通りでは雪はあまり降らないし、積もったとしても2、3日もあれば溶けてなくなってしまう」(谷会長)。白河市民ですら「これほどの大雪は初めて」と口を揃える積雪では、玄関周辺の通り道を確保するのが精一杯だった。別の女性は「建物への被害もけが人もなくて本当に良かった」と話した。


 「これでもかなり溶けたよ。今日も暖かいしね。しかしまあ、避難先で今度は大雪とはね…」。入居している男性は力なく笑う。この日は、駐車場に残った雪が重機で取り除かれた。住民らの生活支援のために民間会社から派遣されている「絆支援員」の女性は「駐車場から通りに出る緩やかな坂道が凍結してしまうとお年寄りが足を滑らせる危険があります。若い人と違ってちょっと転んだだけでも大事に至ることがあるので、取り除かれて安心です」と笑顔を見せた。

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双葉町の仮設住宅に襲いかかった大雪。1週間以上


を経てもなお、多量の雪が残っている


=白河市郭内、2014年02月24日撮影




【1日も早く落ち着いた家が欲しい】


 けが人を出すこともなく大雪にも耐えた仮設住宅。だが、ここが双葉町民にとって安息の住まいになっているか言えば、それは違う。「だってひと部屋三畳半ですよ」。70代の女性は語気を強めた。


 女性が夫とともに生活をしている住まいは三部屋。しかし、畳敷きに替えようと畳屋に測ってもらったら、ひと部屋三畳半しかなかった。合わせてもようやく十畳になろうかという程度の広さ。それを実感したのは、孫が遊びに来てくれた時だった。


 「夜遅くなってしまったから泊まっていくことになったんだけど、とにかく狭い。やむなく布団を2枚敷き、そこに子ども夫婦と2人の孫の4人で寝てもらったの。あれ以来、来ても早めに帰るようになってしまったわ…」


 残雪に囲まれ、女性は遠くを見た。立派な御殿に住まわせてほしいなんて一度も口にしたことはない。平屋建てて良い。孫が気軽に遊びに来られる家に住みたい─。ごくごく当然の願いは叶わぬまま、再び慰霊の日を迎えようとしている。


 先日は、仮設住宅に顔を出した伊澤史朗町長と様々な話をした。「町長は『やはり20-30年は戻れないだろう』と言っていたけど、その頃、私は100歳。もう生きていないわよね…。納得なんてできていないよ。だからこそ、一日も早く〝仮設〟ではなく落ち着いた家で生活したいですよ」。


 世間では20km圏内の住民に対して「損害賠償長者」と揶揄する声もあるが、夫婦の毎月の収入は年金と精神的苦痛に対する1人10万円の賠償金。避難に伴うまとまった賠償金も、昨年になってようやく支払われたところだ。決して原発事故によって裕福な生活を送っているわけではない。


 28日に予定している一時帰宅。揺れによる損傷を免れた我が家はしかし、すっかりネズミの住み家となってしまった。町から支給されるネズミ獲りでは足りず、市販のものを購入して持参する。半ばミイラ化した死骸を始末することを考えると気分が重くなる。「どうして自分の家に帰るのに許可証や検問でのチェックが必要なの?」。頭では分かっていても募る悔しさ。知人は、部屋に侵入していた牛と遭遇し、逃げるようにして仮設住宅に戻ってきたという。以来、その知人は一時帰宅をしなくなってしまった。自宅近くに設置されたモニタリングポストは依然として3μSv/hを超す。目にするたびに毎回のようにため息が出るという。


 女性は先日、くも膜下出血で倒れ、九死に一生を得た。後遺症も残らず、新たに見つかった脳動脈瘤も処置してもらった。「寒さのせいかしら、なんだか頭が痛いのよね」。仮住まいでの生活がどれだけ身体に負担を強いているか。これ以上、犠牲者を出してはならない。

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(上)(中)重機を使った除雪作業によって、仮設住宅


駐車場の緩やかな坂は凍結の心配がなくなった


(下)集会所に掲示されていた放射線量。0.122-0.160


μSv/h(高さ5㎝)



【今も届けられる支援物資】


 取材中、市民団体からの支援物資が届けられた。段ボール箱に入った洗濯洗剤が各戸に配られる。「トイレットペーパーや洗剤を、ずっとこうやって届けてくださるんです。単価は決して高いものではないのかもしれないけれど、値段の問題ではないわよね。気持ちがありがたいです」と住民の女性。「絆支援員」の2人が入居者の体調確認を兼ねて声を掛けて廻る。入居者の外出を促すための朝のラジオ体操は大雪で中断されていたが、間もなく再開される予定だ。


 双葉町の2月3日現在でのまとめでは、郭内応急仮設住宅も含め福島県内への避難者は3944人、県外へは3051人。津波に襲われた町民のうち1人の安否が、依然として分からない。郭内応急仮設住宅の谷自治会長は「3月11日は今年も追悼の炊き出しをします。午後2時46分には住民全員で黙祷です」と話す。原発事故による全町民避難から間もなく、4年目の春を迎える。町民たちの住まいから〝仮〟が外される日が待ち遠しい。





(了)






via 民の声新聞 http://ift.tt/1hiTj56

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