2010年3月15日月曜日

池田香代子ブログ : アーカイブ基本法を 記録開示と権力と民主主義

日米間の4つの密約を検証してきた有識者委員会が、岡田外務相に結論を報告しました。核はもちこまれていた、沖縄に核はあったということが、明らかになったわけですが、後者は密約とは言えないという、なんだかよくわからない判定です。

検証の過程ではっきりしたことで驚いたのは、重要な書類が不自然に存在しない、故意に破棄されたらしいということです。たとえば、東郷和彦・元オランダ大使が、98~99年の条約局長時に日米安保関係の資料を赤いファイルにまとめた、と検証委の聞き取り調査で証言したのに、そのファイルが見つからなかったりしています。この東郷さんは、2000年、欧亜局長としてロシアと「北方領土」問題で交渉に当たりました。鈴木宗男議員が先頭に立って、2島先行返還への含みをもたせた日ロ平和条約がまとまりかけたのが、鈴木議員と外交官の佐藤優さんの逮捕という事態で頓挫し、それに関連して外務省を免官になった方です。依願免官ではなく免官。切腹ではなく打ち首と、当時かれに退職を迫った担当官が表現した、異様な処遇でした。その東郷さんの証言が、かれを斬り捨てた古巣の外務省の非を明らかにした。皮肉な巡り合わせと言うしかありません。

書類はなぜ廃棄されたのでしょう。それは公務員として許されない行為ではないでしょうか。01年に情報公開法が施行される前に、廃棄の指示があった、指示を出したひとりは藤崎駐米大使だった、ということです。あの、クリントン国務長官に「呼びつけられた」と嘘をついた人です(こちら参照)。その人が「出世」しているところを見ると、資料廃棄は外務省を牛耳っている勢力のしわざということでしょう。

「密約」は、アメリカの公文書館に通う多くの学者さんたちによって、アメリカ側の書類が発見され、すでにおおっぴらになっていました。アメリカは、厳密にドキュメントを管理し、多くは30年を経ると公開されます。日本側がいくら隠しても、廃棄しても、それはまさに頭隠して尻隠さずではないでしょうか。なぜ廃棄などという愚かなことをしたのか、ほんとうにわけがわかりません。

公務員が主権者である私たちの委託を受けて仕事をし、その記録をきちんと残すことは、当然の責務です。「お上の事には間違いはございますまいから」に書いたように、江戸時代の文書管理はきわめて厳格におこなわれていました。敗戦の間際に、軍部などが大量の書類を処分したのは、戦争犯罪を問われる虞があったからでした。よしとするわけではありませんが、動機は理解できます。不誠実な保身という動機は。では、外務省はなぜ外交資料を廃棄したのか。戦犯として極刑に処されるわけでもあるまいに。自身の安寧な余生が脅かされる、そんな低次元の動機でしょうか。あるいは、日米関係は永遠に現行のままであり、政権から見直しなど迫られる事態はありえないと信じていたから、見直しに必要な資料など残しておくことはないと考えたのでしょうか。

だとすると、主権者にたいする背信そのものです。主権者など名ばかりで、民主主義とは無縁のところで統治が行われているということです。政治はきわどい道を通らねばならないこともあるでしょう。だとしても、それを記録し、公明正大に後世の検証にゆだねることが必須です。つまり、公務員がなにをしたかが記録され、記録が保管され、時が至れば万人に公開されること、これが民主主義にとっては不可欠なのです。ほんとうはこのくにには民主主義など機能していないことが、今回明らかになった外務省のふるまいからはっきりしてしまいました。

国際資料研究所を主催する小川千代子さんという方が、つとに「アーカイブ基本法」を提唱しています。文書とはなにか、なにをどう管理・保存するか、その利用法はどうすべきかを定め、記録管理院を設ける、というものです。今回のような文書廃棄には罰則をもうける、ともしています(こちらを参照)。その骨子を読むと、権力と私たちの健全で成熟した関係には、記録がいかに重要かが、私のようなしろうとにもよくわかります。記録は権力を牽制するのです。これを機に、「アーカイブ基本法」がつくられれば、今回明らかになった外務省の不正行為も、歴史的な意味があったと言えるかも知れません。

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