2010年10月2日土曜日

樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(2)40万人もの労働者が被曝した

さて、本題に入りましょう。先ずですね、小学校の授業のようなことから始めます。私は、ジャーナリストですんで、どなたにも分かりやすく話さなきゃならない。これは原点ですよね。

 では、まず明治維新から始めましょう。ここから紐解けば簡単なんですよね。原発から始めちゃうから若い人はみんな、「もういい」という反応をしてしまうんですよね。そうじゃなくて、もっと面白い話をしなくちゃね。

日本っていうのは270年も江戸時代が続いたんですよね。考えたら異常ですよね。幕府が270年も続くなんて。

 いつの時代でもそうなんですが、革命が必要なんですよね。今も革命が必要じゃないですか? すべて腐りきっちゃった。学校も腐り、企業も腐り、民衆まで腐っちゃたんだよね。本来はここで革命が起きなきゃいけないんですよ、本当は。でも革命が起きないんだよね。(笑い)

 何故だか分かりますか? 学校なんですよ。教育がワンパターンで悪いことばっかり教えてるんだから。原発の本当のことなんて学校でひとつも教えないんですから。

 僕ね、ある高校へ呼ばれたんですよ。でも僕がしゃべってるようなことはひとつも言っちゃいけないし、おくびにも出しちゃいけないって先生たちがそう言うもんだから、「あんたたちが間違ってるんじゃないか!」、「教育者がきちんと教えなかったらどうするんだ!」って言ってやりましたよ。そしたら小さくなってましたよ。

 「人間、生きることは闘いですよ」って言ってやりましたよ。僕も闘ってきたから生きてこれたんですよ。私、あと2年で70歳ですが、死ぬまで闘い続けてやろうと思っていますよ。のたうち回ってね。僕が今、闘いをやめたらコロッと逝っちゃうんですよ。本当ですよ。ただの爺さんになっちゃうんだから。だから闘いつづけましょう。

 さて、日本も明治維新という時には、やっぱり若い人たちが闘ったんですよね。じい様たちじゃないんですよね。そして、外国に追いつけ追い越せというのは良かったんだけど、どこかが間違っていたんですよね。人間教育をもっとしなくちゃいけなかったんだけど、金儲けばっかり勉強してしまったんですよ。ここが間違いだったんです。

 まず、近代の幕開けは、欧米に追いつけ追い越せだったんですよね。でも欧米はとんでもなく違ってたんですよね、ビルだらけだったんだから。トンネルは掘ってるし、列車は走ってるし。で、この時代の日本といえば、みんな草鞋をはいて歩いてたんだから、大変ですよね。一刻も早く道路を造れ、トンネルを掘れとなったんですよね。で、なにより欧米列強に追いつくには鉄が必要だっていうことになったんですよね。すべてはここから始まったんですよ。

 それで、石炭が日本にもあるだろうということで掘ってみるとあったんですよね。筑豊地帯、宇部炭鉱、北海道と。ここで掘りまくっていったんですよね。これが近代の幕開けですよ。ここで、財閥が形成されたんですよ。三井炭鉱、三菱炭鉱、みんなそうだったでしょう。これ以外にもコンツェルンがどんどん出てきて、明治政府が力をつけて、それで戦争やろう、戦争やろう、こんな小さい国じゃダメだ、みんな奪ってしまえ、みたいになった。みんな鉄から始まったことじゃないですか。

 まずは、石炭で財閥が形成されたわけです。燃える石。鉄を溶かすためには単なる石炭ではだめだった。これをコークスにして、鉄を溶かしたんですよ。そして、軍艦を造り、戦車を造り、鉄砲玉をどんどん造って、軽薄にも戦争をやっちゃうんですよね、この国は。

 日清、日露なんて戦争してね、勝たなきゃよかったものを勝っちゃったんだからね。ここでも間違いが起きたんですよね。他人の国に行って戦争したくせに、いま何を言ってると思いますか? 右翼文化人から始まって、「あれは正しい戦争だった」なんて言ってるんです。中国や韓国に「お前たちが悪いんじゃないか」って言ってる。どうなってるんでしょうね? 世の中恐ろしいですね。嘘も百回言えば本当になっちゃうんですよね。昔からそういうこともありますからね。日本はとんでもない方向に動いてます。原発も同じです。

 さて、石炭からいよいよ60年代に入りますと、石油ですよ。これがどんどん出てきたんですよね。ここで切り替わるんですが、みんな利権が付きまとうんですよ。それがコンビナート列島。さて、なぜ私がこんなことを始めたのか、一緒に話をさせてください。

 私は四日市公害からこの矛盾した日本の現実に飛び込まざるを得なかったんです。1966年のことです。

 石油のおかげで日本は豊かになってきました。豊かになったとはいっても、実は豊かでも何でもないじゃないですか。あれは何だったんだろうって。夢と幻だったんですよね、実は。

 そして人間性をみんなどこかに置いてきちゃった。今の子供の姿を見れば分かりますね。今、日本列島ではどうなってると思いますか? 日常的に人を殺すなんて僕らの世代じゃありえないことですよ。親が子を、子が親を、孫まで殺してしまう。想像がつかない世界に来ていますね。日本人は何かを置いてきちゃった。つまり人間性を置いてきちゃった。これはすべてに、いろんなところに波及してますよ。教育からなにまで。原発がその象徴なんですよ。

 どこかに人間性を置き去りにしたまま大もうけした。持ったことのない金が日本中にあふれ出たんじゃないですか。それでついにバブル崩壊までいってしまったんですね。

 1966年のことですよ、原子力に切り替わっていくのが。1966年7月25日のことです、東海原発第一号炉に火が入ったのが。

 このときのマスコミは恥ずかしいよね、私もマスコミの一員として。新聞はどんなことを書いてると思います? 次代を担うとかね、安全でクリーンだとか、みんな書きまくってたんだよね。その裏で被曝はすぐに始まってるんですよね。でも、そんなことはひとつも報道しようとはしない。今もしません。何にもしません。やってないから困るんですよね。国民が知らないだけのことで。僕に言わせれば、原発の最大のアキレス腱は被曝労働者ですよ。

 今、40万人の人が、被曝してるんですよ。これをほったらかしにしている国民も含めて、この国は何だろう? これで文明国家と言えるのかと、毎日つくづく自問自答してますよ、自分も含めてね。

 じゃあ、せめて自分は写真を撮り、この苦しみを伝えることしかできないけれどもやっていこうと。そのくらいの能力しかないから。そうやって、やってきたら30年も経ってしまった。

 でも何一つ変わりはしない。悲しいけれども変わらない。でも、やりつづけたことで、こうやって皆さんとお会いできた。これは大きい収穫ですね。

(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて)

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