2010年10月2日土曜日

樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(8)質疑応答よりとっておきの裏話を

(司会)

 はい、ありがとうございました。それではこのまま質疑応答に移っていきたいと思います。何か質問あるかたいらっしゃいますでしょうか。何でもいいので...

(樋口さん)

 無いよねぇ(笑)。こんなに詳しく言っちゃったら、何質問しようかって考えても案外無いんですよ。全国ネットでいくつかよくある質問の話をしましょうか。

 まず、原発になぜ入れたのか、っていう話がよく出るよね。あの写真はどうやって撮ったんですかって。コレ一番多い質問だね。後、質疑応答でもこんなに詳しく話す人どこにいるんですかって。裁判が何百万で潰れたとか、金の話ばっかになるけど。

 それから、もう一つ話したいのが、三菱って会社の事。これは悪いところですね。悪の権化です。これだけまたちょっと話をさせてください、5秒ほど(笑)。

 四日市公害で1967年に裁判起きましたね。被告6社。その中に3社も三菱グループが入ってた。三菱化成、三菱モンサント、三菱油化ですね。その化成がモナザイト鉱石から希土類金属を生成、抽出してるなんぞ、ろくでもない話だね。

 四日市の公害裁判で断罪されたでしょ。1972年の7月24日ですね。全面勝訴でした。その一年後に日本から逃げ出してマレーシアに行った。希土類金属は、日本の原発からはじまって...あらゆるコンピューターから原子炉遮蔽材やらに必要とされるもんです。

 この希土類金属は日本が豊かになっていくために必要だった。これ日本で作れなかったんだよね、だからマレーシアに行った。マレーシアには鉱山があって、そこから採れるモナザイト鉱石を生成していく過程で、放射性物質が出ていた。トリウム232です。これを現地でほったらかしにしちゃった。

 これ、あまり知らないでしょう。まあ一度はメディアにも載ったんだけどさ。特派員が一生懸命日本に送ってたんだけど、みんな潰されたの、三菱に。三菱は今とは違いますよ。今は三菱自動車がこんなになっちゃってますけど、この時は力があった。

 三菱って言ったら、三菱重工なんかは戦車だって作ってる。今にジェット機もきっと作るぞ。

 三菱化成はマレーシアに行って、現地で放射性被害をもたらして、白血病患者をバカスカ生み出した。それでマレーシアでは大社会問題だ。すごかったんですよ。

 この時活躍したのが京都大学の助手だった市川定夫さんです。後に埼玉大学に教授で迎えられたけど。彼が現地で放射性物質を測ったら、通常の何百倍って値が出たんだよ。裁判過程での彼の証言は素晴らしかった。

 国際社会で、三菱化成、今は三菱化学って名前の会社が放射能被害を起こしました。これは公害輸出です。俺が日本各地でこの話をすると、学生なんかはこんな話誰も知りません。これも「お金」。日本が豊かになるために、他の国に行って人を殺してきた。すさまじい国ですね、この国は。それで国民が知らない。現地の人たちは皆知ってるから日本を憎む。当たり前だね。

 僕は東南アジアをいろんな原発取材で訪れるけど、皆の話には必ず第二次世界大戦の話が出る。皆に頭下げて来ましたよ、「申し訳なかった」って。一日本人ですからね、俺らがやったんじゃねぇって言えないでしょ。

 右翼文化人は、ああいう所に一度行くべきだね。苦しめた現地の人たちの所へ。そしたら歴史観も人生観も戦争観も少し変わる。行かないから変わらないんだよね、動かないで理屈言ってる連中だから、大学は。そうでしょう?

 今の文化人ってのは、東大から拓大へ行った藤岡もそうだろう、西尾幹二もそうだろう。皆コンピューターで生きてる連中だから、困ったもんだよね。三菱の最近の不祥事はそこに原点があるわけですよ。三菱自動車がふざけた事やったけど、なんでああなったか良く分かるよ。人間性のかけらもありませんでしたから。四日市から見てるんだから。

 僕は四日市公害の時に思いましたよ、「あ、日本駄目になるぞ」って。このままいったら環境はぶっ壊すし、人間まで駄目になってきちゃうよね。一流大学一流大学って言うばかりで。ああこりゃ駄目だ、やがてどえらい事になるぞって言ってたら本当になっちゃった。

 一つの事がきっかけだけど、いやってほど見えるもんね。僕はしょっちゅう「日本は駄目になるぞ」って言ってたけれど、聞いてた友達も「何いってんだ」って相手にしなかった。そしたら本当になっちゃったじゃないですか。今、どこも閉塞してるでしょう。これを打開するにはどうしたらいいですか? 今の価値観全部捨てましょうよ。そこから立ち直ってくるんだよ。俺はそう思ってるんだけどね。ひとりじゃどうにもならない。

 でもそんな人が順に増えてるじゃないですか。恐らく今ここに来てる人たち、皆そんな意識持ってませんか。もってる、絶対もってますよ。でなきゃ夜9時まで話を聞くわけがない(笑)。そう思いますよ。だからこういう人たちが結集して、やりましょう。根気良くやりましょう。

 俺は死んだって何も残らないけど、写真と文章は残るから。それしかないんだよね、後は何もないよ。死ぬまでのたうち回っていこう。そういう生き方を、これからも貫いていきたいとつくづく思っています。

 だから、日本をもう一度良い国にしませんか。今は悪い国です。戦争に加担することもやめるようにしましょう。どんな戦争にも大義名分なんて要りません。全部悪いの、人を殺すんだから。アメリカがどんな事言ったってね、どんな美辞麗句くっつけたって許せない。その尻馬に乗るなんてもっと駄目だよね。

 そりゃ憲法九条はアメリカが作ったとか言ってるけどさ、誰が作ったっていいんだからさ、あんなものは。良ければ。アメリカが作ったからから変えろだなんて、冗談言っちゃいけないよ。良いものは良いんだって、それを俺は押し通してますよ。なんで今変えるんだ、ふざけんなって、本当に。この問題も大きいね。

 原発もね、原発だけで終わるわけじゃないんだよ、核のゴミもあるから。劣化ウラン弾ってのはみんな核のゴミから出来てるんだよ、アメリカの。核のゴミだから、劣化って言葉を付けた。広島に落としたウラニウム爆弾は劣化って言わないでしょ。ウラニウムを生成したからね。

 今度は、日本だって兵器を持ったらいいんだって安倍晋三も言ってますよ。連中が言ってるってことは、もうほとんどの国会議員がそう思ってるってことですよ。最終的には原発被爆だけじゃ終わらせないんだ、この原発王国では。

 その為に、九条を変えるんだ、変えなきゃ持てない。そこまで考えてるんだよ。アメリカだけじゃ戦争するにも大変だからよ、日本のも出させりゃ良いんだ、それで日本がどうなろうと構いやしないってのがアメリカの本音だ。でなきゃこんなに基地を置く訳ないだろって。

(質問)

 樋口さんの原発の内部の写真が衝撃的で、この講演会のポスターとかにも使わせていただいたんですけれど、その撮影の際の事を記した文章もいくつか読ませていただきました。

一番印象的なオレンジの作業服を着た人を真正面にとらえた際の撮影状況の記載が、本によって微妙に違いますね。一つの本には、原子力会社の案内人から撮影許可が下りたと勘違いして撮影したと書いてますし、もうひとつの本には、そうじゃない、駄目だと分かってたけど意図的に撮影したように書かれていましたが、実際のところはどうなんですか?

(樋口さん)

 実際にはね、まず原発に入るのが容易じゃなかったの。あそこに入るのに7日間通ったよ。そこから話をしましょうね。

 行って取材申し込みして「いいでしょう」ってなったわけじゃなくてね。本来は入れたくないでしょう、どこだって。今までクリーンだクリーンだって宣伝してきてるのに、点検作業中を撮らせろなんて言ったから。向こうは大変だったろうね。

 敦賀原発へ民宿から通い、毎日岩佐さんと村居さんの話ばっかするの。「あんたらは、これだけ裁判やってる人がいるのに、裁判潰すのに600万積んでるんじゃねえか」って。そしたら増々警戒するようになって。こりゃアカンなぁ、全然取り合わない。

 そのうちに向こうがね、「うちはとにかく安全を第一にしています」と言う。5日とか6日通うようになって、俺もやっと気が付くんだよね。やっぱ俺、頭悪いな。「安全を第一にしている」って言うんだったら、「じゃあ、その安全を撮らせて下さい」って言ったわけさ。ここで東京本社へ連絡が入ったんでしょ。

 そして許可が下りて、連絡があったんです。何月何日の何時から1時間許しますと。いやあ、その前の晩は眠れませんでした、興奮しちゃってね。

 僕がこの写真を一番先に、世の中にビシッと出したのはアサヒグラフです。皆さん、先ほど言ったこの朝日新聞からだよ。今はなくなったんだよね。ここで13ページかなんか特集組んだんだけどね。

 いやあ、あん時は嬉しかったね。その連中が実は同じ敦賀原発に3日間通ってたんだよね、俺の前に。やっぱり「入れろ、入れない」でもめた。これは新聞記者たちだから、結局ダメだった。

 俺が撮影したのを知って「樋口さんどうしたんですか、国会議員の力ですか?」って言うから、「はあ?」って言ったの。

 とにかく撮影できるのはわずか1時間です。僕はフィルムをカラーもモノクロも用意して、カメラも3台くらい揃えた。いざ入るとなると、「ちょっとお待ち下さい」と紙持ってきて、「誓約書書いて下さい」と言う。どこへ発表するんだっていうふうなことが書いてある。

 これで俺も縛られたんだけど、実は後で岩佐訴訟を弁護していた、今は亡くなった弁護士に聞いたら「樋口さん、そんな誓約書なんて何の役にも立ちはしませんから。あんた、行ってもっとバンバン撮れば良かったんだよ」と言うんだ。

 「はあ?」って言ったの。誓約書ってのはただ約束事でやっているだけで、法的には何にも意味が無いと言う。「ああ、もう少し勉強しておけばよかった」と思ったね。そんなこともありました。

 とにかく、誓約書のことで頭がいっぱいになってる。だけどね、カメラを1台って言われたときには困っちゃったんだよね。その時、俺ね、いいカメラに買い換えたの。いいカメラでなきゃ、中に入るんだから。それでこの新品をバーと置いたの。

 ところが担当者が、「樋口さんこれどうするんですか?」って言う。「どうする? これで撮るに決まってんじゃないか」と言うと、「原発の中ですから、場合によっちゃ、これ持ち出せませんよ」って言うんだよね。「エーっ」て言ったの。「あんたらクリーンだって言ってんじゃないか!」と言ってやりましたよ。

 いざとなると矛盾がバーと出てくるの。担当者は、「うちではいろんなカメラマンが撮るのが1台ありますよ。これをお使いになりませんか?」って言う。それは構わないけど、俺、このためにカメラを新品にしたばっかりで、いくら何でもひどすぎるね。今だったらいいけどさあ。当時、俺、食えなかったんだわ、皆さん。明日のパンがないような生活をしていたんだから。

 とにかく「そのカメラで絶対写りますか? もし写らなかった場合はもう一度入りますよ」と言って、確約とって。あったカメラがアサヒペンタックス、レンズが50ミリで、「ああこれじゃダメ。もう少し広いワイドレンズ付けさせてくれなか」って言ったら、「何ミリにしますか?」って。「28ミリレンズあるか?」っていったら、そこまではない。

 結局そのカメラにして、さらに「フィルムは1本、モノクロでもカラーでもどちらでもいいからあなた決めなさい」って言う。これはねえ、「カラーで撮っとかないと」とピンときた。カラーで撮っておけば、モノクロにフィルムをおこせばいいわけだから、2つに使える。

 いよいよ入っていったんだけど、主任が前、もう一人の職員が俺をこう挟む。サンドイッチマンよ。それでね、現場まで着くのにほんと凄まじかったね。わずか2メートル前後、1メートル半か2メートル半かの通路の半分には労働者が座ってる。びしーっと交代要員が座ってる。「うわーすげえな、原発の定期検査って。これが全部交代要員か?」って思いました。

 2階へ上がって、左に曲がっていけばエレベータがある。主任は俺がいちおうお客さんだから、まずお客さんにって待ってる。その手前にね、1メーター半四方くらいの透明なテントがあって、その中に防護服を全部服脱いで、上から冷たい酸素がバーと吹いてる。「はあ、はあ」って荒い息してる。

 こんな姿を見たときには、カメラを手にして撮影したいんだけど、撮れないわけよ。誓約書があるから、俺が止まると後ろからパーと来て「ここでは撮らないでください」って言う。いよいよ曲がらなければならないんだけど、その向こうに、あの赤色の防護服を着た労働者が溶接していたんですよ。

 実はこれは労働者が溶接をしていたの。そうでなければあんな薄暗い中で、こんだけ明るいのないですよ、原発の中なんて。ブワーと煙が出てて、これはまさに非現実の世界。撮りてえなあって思って、左に曲がらなければならないの無視して、構わずそっちに入っていった。そしたら後ろから職員が来て、引っ張られて、「樋口さん、向こうですよ」って。

 そしたら労働者がなんだとこっち向いたんです。この瞬間を撮らなきゃと、もう本能的にシャッターを押したんです。ファインダーなんかもう覗けないようになっているわけですよ。レンズ以外にはみんなビニールがかかっているから。距離はちょうど1メーターかちょっとで、「これはワイドレンズだから絶対入っているはずだ」と思ったね。



 実際はそうだったんだけど、岩波の本ではちょっとかっこいいこと書いてあったでしょ。学校の先生とか、高校生くらいのレベル高い連中が読むっていうんでちょっとかっこいいことになってるんですけどね。実際にはその直後に、主任が脱兎のごとく飛んで来て、目の色変えて、「あんた約束破った。フィルム抜いてお終いだ」って言うから、これは渡しちゃいけないと思って逃げ回っていた。

 みんな労働者がおもしろがっていたんじゃねえか。「今日は変なやろうが来た」ってね。職員ともみ合っていたんだから。こんな状況があったんです。だからこれはやっぱり違反して撮ったの。考えちゃだめですね、皆さん。これは新聞社だったら絶対撮らなかった。まさに「報道の自由」と、「民主・自主・公開」の三原則の問題です。

 アサヒグラフに発表する時に、これどうしようかなってずっと悩んだんですよ。弁護士に相談したら、「構いません。どんどん出しなさい」と言う。(会場、笑い)これが岩佐訴訟で大いに役に立った。

 今考えたって、これ1カットですよ、皆さん。たった1カット。これがあの「原発安全神話」を崩してったの。俺が写真展やるたんびに東京電力なんかから、ひどい職員が来て言ってったらしいよ、俺がいない間にさ。「こんな樋口の写真、全部ウソだ」とかね。福島あたりでは、「この写真展みんなウソだぞ」って言っていったらしい。

 いくら嘘だって言ったってこれは本当で、どこに掲載されたって、俺、まだ首とんでねえよ。これは報道の自由です。そんなわけで、たった1カットがさ、これだけドラマがあるの。だからよく質問があんの、「どうやって撮ったんだ?」って。

 写真はシャッター押せばそれでお終いだからね。しかしその裏側にはこれだけ馬鹿げたことがあんの。だからおもしろいじゃん。俺、カメラマン止めらんねえや、おもしろくて。

 皆さん見てくれましたか? デイズジャパンの6月号。1枚の写真っていうコーナーで、「樋口さん、これ書いて下さいよ。あなたこれどうやって撮ったのか」と依頼された。1枚の写真について、自分で解説する。ふつうは他の人の写真を語るんだけどさ。「樋口さん、これ1人でやって下さい」って言われました。

 我々はやっぱりなんつって言ったらいいかな、弱者に奉仕することが僕はジャーナリストの仕事だと思ってますから。権力だとか企業になんかねえ、ひとつも貢献したいと思ったことはありません。そういう思いがこういう写真を撮らせてくれました。

 よろしいですか、ありがとうございました。私は嬉しいですね。

(質問)

 失礼します。被曝労働者がいるのにいないという、いるのもわからずにいないというマスコミの、あるいはそれを放置している国民に非があるっていうことは、お話を聞いていてよく分かりました。

 しかし逆にですね、視点を変えますと、下請け会社の労働者が食べていくには原発で働くこともやむを得ないと、報道されると食べていくことができなくなるから止めて欲しいといった意見は、労働者からはないんですかということをお聞きしたいんですけれど。

(樋口さん)

 ある。敦賀で取材をしてね。若い連中がみんな働いているんだけど、若い連中はもう何も喋りません。

 それでしょうがないから俺、待ちぶせてしてるんだ。「あんたら死じゃうぞー」って。原発で働いている人は、みんな青い顔してる。そういう人たちばっかり取材しているんだよって。そしたら、一人電機の会社をやっていた人がいたの。

 今、安い物ばっかり売る電器メーカーがそこら中で出てるから、それで俺はつぶれたんだーって言ったおじさんがいたの。「電器のお店やっててつぶれたんだ、飯食ってかなきゃなんないの」と言うわけだ。

 でも俺は言ったの。「できたら行くな、命が惜しかったら出来るだけ、他のアルバイトをしよう」ってね。「人間は知恵があるから、全部なくなっても行くところがあるはずだ。人間というものは楽な方向に行くもんだけど、原発だけはやめたほうがいい」と言った。

 「命が欲しいのか、いらないのかどっちだ! 死にたきゃあ行けばいいじゃねえか!」って喧嘩したんだ。普通の人は、「ああ、そうですかと」って言うだろうな。でも俺はちがうんだ。

 北九州の福岡で講演した時も、俺の著書の『闇に消される原発被曝者』を買って読んだ人が聞いてたらしい。その人が夜の10時頃に、電話してきて、「あんた、これに書いていることは本当か?」と聞いてきた。多分、仕事が終わってから電話してきたんでしょう。

 彼は、「俺が思ってるのと全く違うんだ。どうしたらいい?」と言うから、「仕事をやめればいい。若いんだろ。あんたは大学出たのか?」と聞いたら、「出た」と言う。聞いてみると結構大きな会社だ。「俺が会社から教わってることとまるっきり違うじゃないか」と言うから、「とりあえず仕事をやめろ。これは真実だから、ウソは一つも書いてない」と言ってやりましたよ。

 彼は真剣に悩んでいたようです。俺は、「他に仕事はあるはずだ。ただ、金が良いから行きたがるんだろ? 後で気づくんだから。死にたきゃあ、続ければいいじゃないか」ときっぱりです。それでいいんです。

 それで彼が救われるならいいんです。放射能浴びれば死ぬに決まってるんだから。病気になってしまった人の姿も沢山見て来た。みんな苦しんで、どこにも訴えることもできない、そういった人たちの話を沢山聞いてきた。

 だから俺は、はっきりと言ってあげるんです。

(司会)

 今日は本当に色々と貴重なお話をありがとうございました。

(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて)

タグ:樋口健二 原発 被曝労働

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