2010年10月2日土曜日

樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(6)隠された被曝労働

さて、もう少し具体的に話をさせてください。

 まず、被曝の原点はなんと言っても岩佐嘉寿幸さんです。1974年のことですから、もう30年も前にさかのぼります。被曝の事実を知って私は岩佐さんのところに行きました。彼は怒ってました。私以上に怒ってました。最初はうちの中に入れてくれませんでした。

 「なんだ、オメーは! アサヒと同じか!」って言うもんだから、ぜんぜん分からない。それから「オメーは東京か」っていうから、「東京です」って答えると、「何やってんだ!」って言うんです。

 「実は四日市公害の取材を7年やって本を出したんです。こういう問題を実はやらないでどっかに逃げようかと思ったんですが、岩佐さんの裁判に一度は触れておかなくてはならんと、それから考えようと思って」って言うと「そうか、じゃあ上がれ」って言ったんです。それで怒ってる意味が分かったんです。

 ここに朝日新聞があります。1974年4月18日木曜日付け、「みんなの科学」欄。これ、何て書いてあったと思います? 「初の原子力炉被曝訴訟 謎だらけの皮膚炎」なんて書いてあるんですよ! まず、これを書いた記者を紹介しなきゃね。マスコミには、いろんなのがいるので。

 朝日新聞科学部に、東大哲学科を出た大熊由紀子って、後に論説委員にまでなった人がいるんです。その後どこに行ったかと思って尋ねたら朝日新聞にいないって言うから、テレビ朝日の連中に調べてもらったら、大阪大学の教授になってるの。その女性が書いた記事です。

 この記事で岩佐さん怒っちゃたんだよね。岩佐さんに取材なんかしてないんだよね。国側だけを取材したんだよ。こんな記者ありますか? いくら俺だってちゃんとしますよ。でもこの大先生、記者なのに一方通行。

 これで私も狂っちゃたんですよね。東大の哲学科まで出た、朝日新聞の科学部の記者がこんな記事書いて、これで真実なんか報道できるわけないじゃないかって。実はここで腹が決まったんですよ。「よーし、俺がやってやろうじゃないか」って。なんの力も金も頭もないけどさ、やれるところまでやってみようと。

それから悪戦苦闘です。だって何にも知らないんだから。岩佐さんにだってバカにされましたよ。「俺、100ミリレムしか浴びてねぇ。おい、お前分かるか?」って言うから「わかりません」って言うと、「お前、阪大の岡村日出夫って助手のところ行って勉強してこい」って言われたんですよ。

 「はい、わかりました」って、大阪に来て阪大に行ったんですよ。で先生に会って、「先生、放射科学について教えてください」って言ったら無料で教えてくれました。これが原点だったんです。岩佐さんに会わなかったら今、こんなことやってませんよ。

 それと、ジャーナリズムです。大の朝日ですよ。国民のほとんどは朝日新聞をとってます。信用してます。それがこんなことやってたんだから、最初から。これは面白くなると思いましたね。そしたら面白くなっちゃった。それで、このあと、この女、逃げ回ってたんです。

 岩佐さんとテレビ朝日に呼ばれたことがあったんですけど、その時、テレビ朝日に、「この記者出せよ、お前たちのとこのもんだろう」って言ったんですけど、結局逃げちゃったんですよね。樋口と岩佐に噛みつかれたら損だと思ったんでしょう、頭のいい人だから。

 さて、岩佐さんはそれから11年間闘いました。知らなかったでしょ? 1974年4月15日に大阪地裁に提訴して、それから、最初の判決は1980年3月30日、全面棄却。

 当たり前じゃないですか。これを支援した人はどれくらいだったと思います? 全国ネットで138人しかいない。僕も含めて。これじゃあ裁判は勝てませんよね。それから高裁、最高裁に行って全部棄却でした。

 時代が悪かったね、70年代だもの。高度経済成長の時代、「何を言ってるんだ」ってもんでしょう。それでも、これを見続けよう、伝え続けようと決心しました。もう、売れる写真家になろうなんて考えなかったね。これが俺の生き方まで決めてくれました。

 そして、岩佐さんの後を引き取ったのが、西淀川に住んでる、長尾光明さんです。78歳。この人が今、東京電力を相手に提訴しています。何かの時には、署名してください、お願いしますよ。

 そいうことで、岩佐さんと出会って次に言われたことは、「おい、樋口さん、お前知ってるか? 金の出る裁判があるんだ」って。まさか原発会社がそんな汚いもんだとは思ってもみなかった。クリーン、安全、現代科学の粋を集めたって言ってるでしょ、一方では。だから金で裁判するなんて思ってもみなかった。俺も能天気だったね、当時は。

 僕だって最初は国が言うとおり信じてたんですから。クリーンで安全で、わずかな恨みを生んでも、何十万キロワット発電できたらいいじゃないかって思うくらいのレベルだったんですから。それが原点ですよ、言ってみれば。ここで懺悔しなきゃいけないと思います。たまたま岩佐さんに会わなかったらその程度で終わってたんですからね。

 で、岩佐さんから、「おい、樋口さん知ってるか? 琵琶湖の近くで、どのくらいの金かわからんけど、俺と裁判を共闘しようとしたら、奥さんが丸めこまれたかなんかで裁判をつぶされた奴がいるんだって。知ってるか?」って言われて、「知るわけないじゃないか! 岩佐さんは知ってるのか?」って聞いたら、「いや、岡村日出夫さんが言ってるんだ」って。

 岡村日出夫さんって人は今はもう事故で亡くなったんですが、この先生のところに行って聞けって、相手の住所も分かってるはずだからって言われて。岡村さんから住所を聞いて、その人のところに行ったんです。夜の7時くらいにやっと捜し当ててたんです。

 大阪の岡村先生と岩佐さんから紹介されて来ましたって言ったら、「はぁ?」なんて言ってね。そりゃあ「はぁ?」って言いますよね。変なのが来たって思ったでしょうね。

 「実は私、こういう者で、取材をさせていただきたいと思って来たのですが」って言うと、最初は迷惑って顔してましたよ。でもね、「岩佐さんが一生懸命裁判やっているのをご存知ですね」って言うと、「じゃあ、まあ入りなさい」と入れてくれました。

 すでに生活が破壊されてて、自分のわずかな田畑と家を手放して、借家に奥さんと女の子の子供3人と住んでました。子供はまだ小さくて、「一番下の子は俺が被曝してからできた子なんだよ。この子がいちばん気がかりだ」って言うんですよ。重い十字架を背負って生まれたんですよ。

 最初はお金の話は一度も出ませんでした。ところが、2度3度と行ったら、押入れの上から書類を持って見せてくれました。これが示談書だって。この書類を廃棄しろって言われてたんだけど、残してたんだって。600万円もらってもう終わったんだから書類を廃棄しろって言われてたけど、何かの役に立つかもしれんと残しておいたんだそうです。

 そしたらそこに部落解放同盟の名前が入ってたんです。ここが仲立ちしたんです。これはおそらく、村居さんが部落民だから、彼のために会社から金をとってやろうという思いで、金をとったんだと思いますよ。それで600万円を受け取ったんだろうね。1回の振り込み額はそれぞれ違いましたが、銀行振り込みで3回にわたって振り込んでありました。「村居さん、これを使ってもいいか」って言ったら、「これは真実だから使っていい」って言いました。勇気のある男がいたもんだね。感動しましたね。

 でもここで、なんてことだろう、なんでこの人たちもお金なんて受け取ったんだろうって思いましたね。このときは俺も泣いたよ。この社会って腐りきってるんじゃないかって。でも、そのあと部落解放同盟は被曝問題には絶対に手を出さなかった。

 これを知った大阪にある部落解放同盟の本部が、僕に村居さんについての原稿を書いてくださいっていってきました。二度とこういうことがあってはいけないからって。で、被曝労働について書きました。これで全国の解放同盟の人は僕の記事を読んだんでしょう。

 九州で講演したときに、解放同盟の青年が来て、「樋口さん、樋口さんの話は本当ですか?」って聞くんです。「嘘を言ったら一発でクビが飛ぶんだよ、俺らの世界は」って言いました。そしたら「間違いありませんか。そうですか、非常に残念です」っていうまじめな青年がいるもんです。これを契機にして、部落解放同盟は手を染めなかったんだよね。でも、よかったね。偉い人たちだと思います。もし、あれを隠蔽してたらもっといろんな問題が出たと思います。

 裁判を起こそうとして、村居さんの奥さんは丸めこまれちゃったんだよね。生活は逼迫してどん底にいたんですから。それで電力会社はね、奥さんに、「今、大阪で裁判を起こしてる人がいるけど、この裁判は長くなるよ」って、「あんたら裁判起こしたらどうなんの? お金のほうがいいだろう」ってまず奥さんを説得したわけです。本人よりも。本人が外出してる間に。本人はおそらく、先ほど話した岡村さんと裁判について話してたんでしょう。

 奥さんも生活に疲れきってね、本当にぼろぼろになって。そこを突かれたんですね。それでも村居さんは、いつも会えば「いや、女房が可愛そうだ」と、そうやって俺に言うわけですよ。奥さんを庇ってね。

 この裁判を潰す犯罪を担った一人が重松教授。「異常無し」とカルテに書いてしまった。この人は後にね、この問題が吹き出してきたから首つり自殺をしてます。いたたまれなくなったんだろうね。追求もされたんでしょう。「異常無し」カルテの裏は金。教授もたった百万円しかもらってないのにそんなカルテを書いちゃった。これは村井さんが職員から聞いてんだよ、駄目だな。

 もうひとつ、金で裁判潰されたケースは北九州の親方だよ。

この人ですよ! 「俺らがいい加減な検査や提携やってるから・・・ 3か月やそこらで点検なんか終わるかよ。きちんとやったら6か月や1年はかかるぞ、樋口さん」って言ってたのは。

 だから、去年の美浜原発の事故が起きたときは、「親方言った通りじゃねえか、肝心な所やってねえんだ」と僕は言いました。すげえね、これから一杯起きる可能性があるって事だ。

 この親方は、自分が入らなきゃ良かったのに真面目な男だったから。普通は労働者連れてくりゃ、その数だけピンハネする訳で。

 俺言ったの。「労働者は皆ピンハネしたんですか?」ってね。そしたら怒ってさ、「いや樋口さん、そう言うけどウチみたいな7人ぐらいの会社じゃ、こうしないと盆と暮れのボーナスも出せない。それはきちんとさせてもらってますよ」って。自分も働けばもっと金が入る訳でしょ。「ああ、すいません」って謝りましたよ。でもピンハネには違いないんだけどね。

 この人も裁判起こそうとしたんだけど、この人の時はすごかったね。暴力団が毎日、脅迫電話をかけて生活を脅かしたんですよ。それで奥さんがノイローゼになっちゃってね。

 最後は日立プラントがわざわざ行ってるんですよ。課長が本社から。親方に直接仕事を回していた、井上工業って下関のひ孫請け会社の社長といっしょに、親方の家に行って、強引に連れ出して。九州大学連れ込んで、ここで異常無しカルテまた書いた。

 わずか106万円で裁判潰しやがった。ひでえ事やってやがんな、この奴らは。その時の資料はちゃんと持ってますよ。まさに闇の世界。原発ってとんでもない事やってるんですよ。皆さん考えてるようなもんじゃないよ。

 俺は村居さんの所に最後に行ったのは95年だったけど、「樋口さん、俺もあれから周りの話を色々と聞いてる。3000万円もらった、4000万円もらった・・・ それで皆黙らされた。自分はわずか600万円だったから悲しみを表に出せる」って言ってました。

 こういう風に、現実に人を潰していく時に、必ず裏に医師達がいたんですよ。裏は取ってあるんだよね。先ほどの高校生のアルバイト、これは氷山の一角でしょう。労災認定はわずか6例だけど、岩佐訴訟が11年間闘ったおかげで、あの暗黒労働が引き出された訳ですよ。これで国の連中も、労働省も含めて、やっと6例を認定するようになったんだよね。でなきゃ労災認定なんか出来ません、しなかったと思います。岩佐さんが、そういう意味で先駆者なんだよ。

 でもこの数にJCOと去年の美浜は入ってませんよ。「原発被曝」じゃないから。それを入れると、3人と5人だから8人プラスだけどね。今までの被曝労災認定は、唯一長尾さんを除いて、全部白血病です。他のガンは全部不認定。

 他のガンを認めたら、「俺も助けろー、俺も助けろー」って、この国つぶれるでしょう。労災認定って、一人認定するといくら払うかご存じですか。1千万? 違う、3千万払うのよ、皆さん。もしこれをバカバカ認定してごらんなさい、国がつぶれちゃうよ。えらい事になってるんだよ。だから隠せるだけ隠そうとしてるんだって。それでバレたらバレたでしょうがないや、と。皆で責任とろうやって言ってるんじゃないんです。

 すべてが明らかになるのは、僕が死んだ後だ。その時に「樋口ってのが言ってたね?」ってなるんだ。コレ本当になるよ、なるに決まってるんだから。

 もっと知りたかったら俺の本の『闇に消された原発被曝者』、これを読んでいただきたい。たくさんの被曝者の証言が一杯入ってるから。色んな形で潰れていった連中、これはまた読んでいただきたい。俺ここで全部喋ると本が売れなくなるから止めた(笑)。冗談抜きで読んで下さい。

(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて)

0 件のコメント:

コメントを投稿