2010年10月17日日曜日

イラク環境大臣と少女の死の中等学校

イラク環境大臣と少女の死の中等学校
記事| 16-10-2010
ハイファZangana
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ライタからイラク

2010年10月2日土曜日

樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(8)質疑応答よりとっておきの裏話を

(司会)

 はい、ありがとうございました。それではこのまま質疑応答に移っていきたいと思います。何か質問あるかたいらっしゃいますでしょうか。何でもいいので...

(樋口さん)

 無いよねぇ(笑)。こんなに詳しく言っちゃったら、何質問しようかって考えても案外無いんですよ。全国ネットでいくつかよくある質問の話をしましょうか。

 まず、原発になぜ入れたのか、っていう話がよく出るよね。あの写真はどうやって撮ったんですかって。コレ一番多い質問だね。後、質疑応答でもこんなに詳しく話す人どこにいるんですかって。裁判が何百万で潰れたとか、金の話ばっかになるけど。

 それから、もう一つ話したいのが、三菱って会社の事。これは悪いところですね。悪の権化です。これだけまたちょっと話をさせてください、5秒ほど(笑)。

 四日市公害で1967年に裁判起きましたね。被告6社。その中に3社も三菱グループが入ってた。三菱化成、三菱モンサント、三菱油化ですね。その化成がモナザイト鉱石から希土類金属を生成、抽出してるなんぞ、ろくでもない話だね。

 四日市の公害裁判で断罪されたでしょ。1972年の7月24日ですね。全面勝訴でした。その一年後に日本から逃げ出してマレーシアに行った。希土類金属は、日本の原発からはじまって...あらゆるコンピューターから原子炉遮蔽材やらに必要とされるもんです。

 この希土類金属は日本が豊かになっていくために必要だった。これ日本で作れなかったんだよね、だからマレーシアに行った。マレーシアには鉱山があって、そこから採れるモナザイト鉱石を生成していく過程で、放射性物質が出ていた。トリウム232です。これを現地でほったらかしにしちゃった。

 これ、あまり知らないでしょう。まあ一度はメディアにも載ったんだけどさ。特派員が一生懸命日本に送ってたんだけど、みんな潰されたの、三菱に。三菱は今とは違いますよ。今は三菱自動車がこんなになっちゃってますけど、この時は力があった。

 三菱って言ったら、三菱重工なんかは戦車だって作ってる。今にジェット機もきっと作るぞ。

 三菱化成はマレーシアに行って、現地で放射性被害をもたらして、白血病患者をバカスカ生み出した。それでマレーシアでは大社会問題だ。すごかったんですよ。

 この時活躍したのが京都大学の助手だった市川定夫さんです。後に埼玉大学に教授で迎えられたけど。彼が現地で放射性物質を測ったら、通常の何百倍って値が出たんだよ。裁判過程での彼の証言は素晴らしかった。

 国際社会で、三菱化成、今は三菱化学って名前の会社が放射能被害を起こしました。これは公害輸出です。俺が日本各地でこの話をすると、学生なんかはこんな話誰も知りません。これも「お金」。日本が豊かになるために、他の国に行って人を殺してきた。すさまじい国ですね、この国は。それで国民が知らない。現地の人たちは皆知ってるから日本を憎む。当たり前だね。

 僕は東南アジアをいろんな原発取材で訪れるけど、皆の話には必ず第二次世界大戦の話が出る。皆に頭下げて来ましたよ、「申し訳なかった」って。一日本人ですからね、俺らがやったんじゃねぇって言えないでしょ。

 右翼文化人は、ああいう所に一度行くべきだね。苦しめた現地の人たちの所へ。そしたら歴史観も人生観も戦争観も少し変わる。行かないから変わらないんだよね、動かないで理屈言ってる連中だから、大学は。そうでしょう?

 今の文化人ってのは、東大から拓大へ行った藤岡もそうだろう、西尾幹二もそうだろう。皆コンピューターで生きてる連中だから、困ったもんだよね。三菱の最近の不祥事はそこに原点があるわけですよ。三菱自動車がふざけた事やったけど、なんでああなったか良く分かるよ。人間性のかけらもありませんでしたから。四日市から見てるんだから。

 僕は四日市公害の時に思いましたよ、「あ、日本駄目になるぞ」って。このままいったら環境はぶっ壊すし、人間まで駄目になってきちゃうよね。一流大学一流大学って言うばかりで。ああこりゃ駄目だ、やがてどえらい事になるぞって言ってたら本当になっちゃった。

 一つの事がきっかけだけど、いやってほど見えるもんね。僕はしょっちゅう「日本は駄目になるぞ」って言ってたけれど、聞いてた友達も「何いってんだ」って相手にしなかった。そしたら本当になっちゃったじゃないですか。今、どこも閉塞してるでしょう。これを打開するにはどうしたらいいですか? 今の価値観全部捨てましょうよ。そこから立ち直ってくるんだよ。俺はそう思ってるんだけどね。ひとりじゃどうにもならない。

 でもそんな人が順に増えてるじゃないですか。恐らく今ここに来てる人たち、皆そんな意識持ってませんか。もってる、絶対もってますよ。でなきゃ夜9時まで話を聞くわけがない(笑)。そう思いますよ。だからこういう人たちが結集して、やりましょう。根気良くやりましょう。

 俺は死んだって何も残らないけど、写真と文章は残るから。それしかないんだよね、後は何もないよ。死ぬまでのたうち回っていこう。そういう生き方を、これからも貫いていきたいとつくづく思っています。

 だから、日本をもう一度良い国にしませんか。今は悪い国です。戦争に加担することもやめるようにしましょう。どんな戦争にも大義名分なんて要りません。全部悪いの、人を殺すんだから。アメリカがどんな事言ったってね、どんな美辞麗句くっつけたって許せない。その尻馬に乗るなんてもっと駄目だよね。

 そりゃ憲法九条はアメリカが作ったとか言ってるけどさ、誰が作ったっていいんだからさ、あんなものは。良ければ。アメリカが作ったからから変えろだなんて、冗談言っちゃいけないよ。良いものは良いんだって、それを俺は押し通してますよ。なんで今変えるんだ、ふざけんなって、本当に。この問題も大きいね。

 原発もね、原発だけで終わるわけじゃないんだよ、核のゴミもあるから。劣化ウラン弾ってのはみんな核のゴミから出来てるんだよ、アメリカの。核のゴミだから、劣化って言葉を付けた。広島に落としたウラニウム爆弾は劣化って言わないでしょ。ウラニウムを生成したからね。

 今度は、日本だって兵器を持ったらいいんだって安倍晋三も言ってますよ。連中が言ってるってことは、もうほとんどの国会議員がそう思ってるってことですよ。最終的には原発被爆だけじゃ終わらせないんだ、この原発王国では。

 その為に、九条を変えるんだ、変えなきゃ持てない。そこまで考えてるんだよ。アメリカだけじゃ戦争するにも大変だからよ、日本のも出させりゃ良いんだ、それで日本がどうなろうと構いやしないってのがアメリカの本音だ。でなきゃこんなに基地を置く訳ないだろって。

(質問)

 樋口さんの原発の内部の写真が衝撃的で、この講演会のポスターとかにも使わせていただいたんですけれど、その撮影の際の事を記した文章もいくつか読ませていただきました。

一番印象的なオレンジの作業服を着た人を真正面にとらえた際の撮影状況の記載が、本によって微妙に違いますね。一つの本には、原子力会社の案内人から撮影許可が下りたと勘違いして撮影したと書いてますし、もうひとつの本には、そうじゃない、駄目だと分かってたけど意図的に撮影したように書かれていましたが、実際のところはどうなんですか?

(樋口さん)

 実際にはね、まず原発に入るのが容易じゃなかったの。あそこに入るのに7日間通ったよ。そこから話をしましょうね。

 行って取材申し込みして「いいでしょう」ってなったわけじゃなくてね。本来は入れたくないでしょう、どこだって。今までクリーンだクリーンだって宣伝してきてるのに、点検作業中を撮らせろなんて言ったから。向こうは大変だったろうね。

 敦賀原発へ民宿から通い、毎日岩佐さんと村居さんの話ばっかするの。「あんたらは、これだけ裁判やってる人がいるのに、裁判潰すのに600万積んでるんじゃねえか」って。そしたら増々警戒するようになって。こりゃアカンなぁ、全然取り合わない。

 そのうちに向こうがね、「うちはとにかく安全を第一にしています」と言う。5日とか6日通うようになって、俺もやっと気が付くんだよね。やっぱ俺、頭悪いな。「安全を第一にしている」って言うんだったら、「じゃあ、その安全を撮らせて下さい」って言ったわけさ。ここで東京本社へ連絡が入ったんでしょ。

 そして許可が下りて、連絡があったんです。何月何日の何時から1時間許しますと。いやあ、その前の晩は眠れませんでした、興奮しちゃってね。

 僕がこの写真を一番先に、世の中にビシッと出したのはアサヒグラフです。皆さん、先ほど言ったこの朝日新聞からだよ。今はなくなったんだよね。ここで13ページかなんか特集組んだんだけどね。

 いやあ、あん時は嬉しかったね。その連中が実は同じ敦賀原発に3日間通ってたんだよね、俺の前に。やっぱり「入れろ、入れない」でもめた。これは新聞記者たちだから、結局ダメだった。

 俺が撮影したのを知って「樋口さんどうしたんですか、国会議員の力ですか?」って言うから、「はあ?」って言ったの。

 とにかく撮影できるのはわずか1時間です。僕はフィルムをカラーもモノクロも用意して、カメラも3台くらい揃えた。いざ入るとなると、「ちょっとお待ち下さい」と紙持ってきて、「誓約書書いて下さい」と言う。どこへ発表するんだっていうふうなことが書いてある。

 これで俺も縛られたんだけど、実は後で岩佐訴訟を弁護していた、今は亡くなった弁護士に聞いたら「樋口さん、そんな誓約書なんて何の役にも立ちはしませんから。あんた、行ってもっとバンバン撮れば良かったんだよ」と言うんだ。

 「はあ?」って言ったの。誓約書ってのはただ約束事でやっているだけで、法的には何にも意味が無いと言う。「ああ、もう少し勉強しておけばよかった」と思ったね。そんなこともありました。

 とにかく、誓約書のことで頭がいっぱいになってる。だけどね、カメラを1台って言われたときには困っちゃったんだよね。その時、俺ね、いいカメラに買い換えたの。いいカメラでなきゃ、中に入るんだから。それでこの新品をバーと置いたの。

 ところが担当者が、「樋口さんこれどうするんですか?」って言う。「どうする? これで撮るに決まってんじゃないか」と言うと、「原発の中ですから、場合によっちゃ、これ持ち出せませんよ」って言うんだよね。「エーっ」て言ったの。「あんたらクリーンだって言ってんじゃないか!」と言ってやりましたよ。

 いざとなると矛盾がバーと出てくるの。担当者は、「うちではいろんなカメラマンが撮るのが1台ありますよ。これをお使いになりませんか?」って言う。それは構わないけど、俺、このためにカメラを新品にしたばっかりで、いくら何でもひどすぎるね。今だったらいいけどさあ。当時、俺、食えなかったんだわ、皆さん。明日のパンがないような生活をしていたんだから。

 とにかく「そのカメラで絶対写りますか? もし写らなかった場合はもう一度入りますよ」と言って、確約とって。あったカメラがアサヒペンタックス、レンズが50ミリで、「ああこれじゃダメ。もう少し広いワイドレンズ付けさせてくれなか」って言ったら、「何ミリにしますか?」って。「28ミリレンズあるか?」っていったら、そこまではない。

 結局そのカメラにして、さらに「フィルムは1本、モノクロでもカラーでもどちらでもいいからあなた決めなさい」って言う。これはねえ、「カラーで撮っとかないと」とピンときた。カラーで撮っておけば、モノクロにフィルムをおこせばいいわけだから、2つに使える。

 いよいよ入っていったんだけど、主任が前、もう一人の職員が俺をこう挟む。サンドイッチマンよ。それでね、現場まで着くのにほんと凄まじかったね。わずか2メートル前後、1メートル半か2メートル半かの通路の半分には労働者が座ってる。びしーっと交代要員が座ってる。「うわーすげえな、原発の定期検査って。これが全部交代要員か?」って思いました。

 2階へ上がって、左に曲がっていけばエレベータがある。主任は俺がいちおうお客さんだから、まずお客さんにって待ってる。その手前にね、1メーター半四方くらいの透明なテントがあって、その中に防護服を全部服脱いで、上から冷たい酸素がバーと吹いてる。「はあ、はあ」って荒い息してる。

 こんな姿を見たときには、カメラを手にして撮影したいんだけど、撮れないわけよ。誓約書があるから、俺が止まると後ろからパーと来て「ここでは撮らないでください」って言う。いよいよ曲がらなければならないんだけど、その向こうに、あの赤色の防護服を着た労働者が溶接していたんですよ。

 実はこれは労働者が溶接をしていたの。そうでなければあんな薄暗い中で、こんだけ明るいのないですよ、原発の中なんて。ブワーと煙が出てて、これはまさに非現実の世界。撮りてえなあって思って、左に曲がらなければならないの無視して、構わずそっちに入っていった。そしたら後ろから職員が来て、引っ張られて、「樋口さん、向こうですよ」って。

 そしたら労働者がなんだとこっち向いたんです。この瞬間を撮らなきゃと、もう本能的にシャッターを押したんです。ファインダーなんかもう覗けないようになっているわけですよ。レンズ以外にはみんなビニールがかかっているから。距離はちょうど1メーターかちょっとで、「これはワイドレンズだから絶対入っているはずだ」と思ったね。



 実際はそうだったんだけど、岩波の本ではちょっとかっこいいこと書いてあったでしょ。学校の先生とか、高校生くらいのレベル高い連中が読むっていうんでちょっとかっこいいことになってるんですけどね。実際にはその直後に、主任が脱兎のごとく飛んで来て、目の色変えて、「あんた約束破った。フィルム抜いてお終いだ」って言うから、これは渡しちゃいけないと思って逃げ回っていた。

 みんな労働者がおもしろがっていたんじゃねえか。「今日は変なやろうが来た」ってね。職員ともみ合っていたんだから。こんな状況があったんです。だからこれはやっぱり違反して撮ったの。考えちゃだめですね、皆さん。これは新聞社だったら絶対撮らなかった。まさに「報道の自由」と、「民主・自主・公開」の三原則の問題です。

 アサヒグラフに発表する時に、これどうしようかなってずっと悩んだんですよ。弁護士に相談したら、「構いません。どんどん出しなさい」と言う。(会場、笑い)これが岩佐訴訟で大いに役に立った。

 今考えたって、これ1カットですよ、皆さん。たった1カット。これがあの「原発安全神話」を崩してったの。俺が写真展やるたんびに東京電力なんかから、ひどい職員が来て言ってったらしいよ、俺がいない間にさ。「こんな樋口の写真、全部ウソだ」とかね。福島あたりでは、「この写真展みんなウソだぞ」って言っていったらしい。

 いくら嘘だって言ったってこれは本当で、どこに掲載されたって、俺、まだ首とんでねえよ。これは報道の自由です。そんなわけで、たった1カットがさ、これだけドラマがあるの。だからよく質問があんの、「どうやって撮ったんだ?」って。

 写真はシャッター押せばそれでお終いだからね。しかしその裏側にはこれだけ馬鹿げたことがあんの。だからおもしろいじゃん。俺、カメラマン止めらんねえや、おもしろくて。

 皆さん見てくれましたか? デイズジャパンの6月号。1枚の写真っていうコーナーで、「樋口さん、これ書いて下さいよ。あなたこれどうやって撮ったのか」と依頼された。1枚の写真について、自分で解説する。ふつうは他の人の写真を語るんだけどさ。「樋口さん、これ1人でやって下さい」って言われました。

 我々はやっぱりなんつって言ったらいいかな、弱者に奉仕することが僕はジャーナリストの仕事だと思ってますから。権力だとか企業になんかねえ、ひとつも貢献したいと思ったことはありません。そういう思いがこういう写真を撮らせてくれました。

 よろしいですか、ありがとうございました。私は嬉しいですね。

(質問)

 失礼します。被曝労働者がいるのにいないという、いるのもわからずにいないというマスコミの、あるいはそれを放置している国民に非があるっていうことは、お話を聞いていてよく分かりました。

 しかし逆にですね、視点を変えますと、下請け会社の労働者が食べていくには原発で働くこともやむを得ないと、報道されると食べていくことができなくなるから止めて欲しいといった意見は、労働者からはないんですかということをお聞きしたいんですけれど。

(樋口さん)

 ある。敦賀で取材をしてね。若い連中がみんな働いているんだけど、若い連中はもう何も喋りません。

 それでしょうがないから俺、待ちぶせてしてるんだ。「あんたら死じゃうぞー」って。原発で働いている人は、みんな青い顔してる。そういう人たちばっかり取材しているんだよって。そしたら、一人電機の会社をやっていた人がいたの。

 今、安い物ばっかり売る電器メーカーがそこら中で出てるから、それで俺はつぶれたんだーって言ったおじさんがいたの。「電器のお店やっててつぶれたんだ、飯食ってかなきゃなんないの」と言うわけだ。

 でも俺は言ったの。「できたら行くな、命が惜しかったら出来るだけ、他のアルバイトをしよう」ってね。「人間は知恵があるから、全部なくなっても行くところがあるはずだ。人間というものは楽な方向に行くもんだけど、原発だけはやめたほうがいい」と言った。

 「命が欲しいのか、いらないのかどっちだ! 死にたきゃあ行けばいいじゃねえか!」って喧嘩したんだ。普通の人は、「ああ、そうですかと」って言うだろうな。でも俺はちがうんだ。

 北九州の福岡で講演した時も、俺の著書の『闇に消される原発被曝者』を買って読んだ人が聞いてたらしい。その人が夜の10時頃に、電話してきて、「あんた、これに書いていることは本当か?」と聞いてきた。多分、仕事が終わってから電話してきたんでしょう。

 彼は、「俺が思ってるのと全く違うんだ。どうしたらいい?」と言うから、「仕事をやめればいい。若いんだろ。あんたは大学出たのか?」と聞いたら、「出た」と言う。聞いてみると結構大きな会社だ。「俺が会社から教わってることとまるっきり違うじゃないか」と言うから、「とりあえず仕事をやめろ。これは真実だから、ウソは一つも書いてない」と言ってやりましたよ。

 彼は真剣に悩んでいたようです。俺は、「他に仕事はあるはずだ。ただ、金が良いから行きたがるんだろ? 後で気づくんだから。死にたきゃあ、続ければいいじゃないか」ときっぱりです。それでいいんです。

 それで彼が救われるならいいんです。放射能浴びれば死ぬに決まってるんだから。病気になってしまった人の姿も沢山見て来た。みんな苦しんで、どこにも訴えることもできない、そういった人たちの話を沢山聞いてきた。

 だから俺は、はっきりと言ってあげるんです。

(司会)

 今日は本当に色々と貴重なお話をありがとうございました。

(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて)

タグ:樋口健二 原発 被曝労働

樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(7)田中角栄と柏崎刈羽原発

という事でね、被曝の暗黒部分ってのは皆さんの想像以上。何も考えなかったら、この国は良い国だね。社会問題考えなかったら、僕は良い国だと思うよ。頭パーで生きてたら。だってニートとかいって、働かないで85万人生きてるんだよ。俺なんか一生懸命やって、やっと生きてるってのにさ。なんだよって。おかしいね。

 後、もう一つ言いたいのは、この国の有り様ね。60年代から高度経済成長に入ったのは良かったんですよ。それまでは貧しかったからね。俺なんか戦争終わった時は小学校2年か3年でしたよ。信州の山の中、食う物も無く、餓えて餓えて。

 信州なんか沢山飯が喰えたんじゃないかと思ったら大間違い。冗談じゃねえや。国が一つの田んぼに対して何俵供出しろって命令来てるからさ、隠し通せなかったんだよね。親爺達も、テメエの息子だ娘だ、家族が皆餓えてるのによ、国にみんな出した。だから餓えてた、我々は。そんで、大きくなった時に「何だあの餓えは」って言ったら、「戦争だからしょうがないじゃねえか」って。

 戦争のために餓えたんだぞ、じゃあ戦争反対するに決まってんだろ。なんか食い意地だけの戦争反対みたいだけどさ。人間、餓えの恐ろしさが一番辛いですよ。皆さんも、見た所タラフク飯を食ってますね。8時間寝てお酒飲んで。これじゃ困るのよ本当は。一度で良いから学生に経験してもらいたい。「餓えなさい、三日食うな」って。

三日食わなかったらね、本当つらい。食う所なんていくらでもあるじゃねえか、ちょっと足を伸ばせばコンビニがある、捨てるぐらいある。だからこそ一度でいいからやってみたらいい。日本は一体どうなっていくと思いますか、皆さん。やっぱり革命が必要ですね。革命っていっても殺しあいとかじゃなくて。体制をもう一度立て直す。やらなきゃ駄目だねやっぱり。大学教育から始まってね。良い芽を起こさないとね。

 なんでこんな国になったかって、俺に言わせりゃ簡単だよ。豊かになっていったでしょ、企業が大きくなったでしょ。大企業に就職すりゃ、みんな給料沢山貰えたんだよね。ここが間違いだったのよ、俺に言わせりゃ。

 皆、良い大学行って。そこに行けば良い会社に入れるようになってたからよ。だから、ちょっと俺みたいに出来が悪いのは大変だよ。落ちこぼれていくんだからよ。俺は落ちこぼれるのはかえって良かったんだけどね。自分の道を選んだんだから。それを分からなかった子どもたちが一杯いたんだわ。それがグレたり、ワルするようになって、そこを疎かにしちゃったからいけなかったんだよ。

 だいたい皆サラリーマンにしようなんて。一億総サラリーマンにしようと思った事が、教育間違ってたんだよ。大工になるのがいても良いし、いろんな職業が世の中に一杯あるんだから、おめえはコレがいいぞって先生が言ってやらなきゃならなかったんだよ。我々の世代は皆そういう風にやってきてたんだよ。

 「お前は体が丈夫だし、よく動くからお前蕎麦屋になれ」とかね。先生がよく言ったのよ。今は、そうじゃねえだろ。皆仲良くサラリーマンになろうよってやったから。なれねぇのがいるに決まってるじゃねえか。大学だって一流大学出れる奴と出れない奴がいるんだから。

 教育がなっちゃないんですよ、哲学を教えなきゃ。産学一体で、良い会社へ人材をドドーって。それは今だって同じだ。増々酷くなってる。もっと酷くなると思いますよ、この日本は。戦争なんかやらなくてもね、そういうことで潰れていくだろうよ。そして初めて気が付くんだよね。全日本国民が。

 日本って国はだいたいそうじゃない、戦争だってとことんやらなきゃならないんだから。途中でやめないんだから。そうでしょう、玉砕だって言ったんでしょう。戦争やった連中こそ死んでほしいって思いますよ。

 関東軍が一番責任者なんだよね、満州では。それで残ったのが残留孤児だ。現代史を一つも教えてないよ、学校は。それで日中、日韓がおかしくなっちゃうんだな。

 さあ、革命を起こしましょう皆さん! 原発被曝をやめさせましょうって言って下さいよ、皆さん。

 他の事も、もちろん必要だけどさ、今やっぱり「人間を殺している」という事、これをどうしたって許しちゃならないと思います。これは小さな問題じゃありません。実は大きすぎたから潰しているんですよ、こうやって。

 他の問題はね、地震とかは「いや、それは大丈夫ですよ」って言うに決まってる。日本の土木工学は世界一だって言ってるんだから、地震に耐えられるって言ってるんだから。それでお終いじゃないですか。いくらワアワア言った所で。

 被曝を本当に問題にしたら青くなるよ。「人を殺すのだけは止めましょう」って。それでもエネルギーが欲しいんですかって。自分達だけ平和を買って、労働者を潰して、殺して、今だってそうして動いてるんですよ、実際は。

 これを言いたくて今日は大阪に来たんです。俺は全国で言って歩いてます。バカの一つ覚えだけど。でもありがたいよね。こうやって色んな人たちと出会ってね。数で云えば、恐らく全国ネットになれば、結構な数だけどさ、まだまだ・・・

 今日嬉しかったのはね、僕の話を初めて聞く人がいるっていうからさ、感動しちゃったね。大阪にも、俺は何度も来てるよ。この話をしに。今日は違う人たちですよ。ああ、よかったって。話は下手ですけど。

 話が上手かったら俺は国会議員になってウソばっかり言ってますよ。そんで選挙の時だけワーって言ってりゃいいんだから。俺、一番嫌いなのは国会議員だ。政治家と大学の先生だ。評論家って連中。何も動かないでいい。今はインターネットで大事な物はみんな取り寄せりゃいいんだから。そんなんだから、後で盗作だって事になる。見てごらんなさい。俺らみたいに足で歩かなきゃいけない。それで全国ネットを作る。

 だから俺に文句を言う人は一人もおりません。現場を見てるから。今日もいないでしょ。許せねぇって人いるかな? 言葉悪いからごめんね。

 その人は出てきてくれていいよ。俺は日本一言葉が悪いんだから。信州の山の中で言葉覚えたから大変だよ。東京出たけど、言葉なんか治りませんでした。いや治すつもりもありません。これは方言だから。文化だから。治す必要は無いってね。

 標準語? 冗談じゃない、あれが間違っている。皆を一つにしようなんて大間違い。そういうことで、余計な事もしゃべりました。ちょっぴりは解っていただけたんじゃないかな、これで。

 もうひとつ言い忘れてた。原発の体制ってのは、実は電力の需要から作られてるんじゃないんだ、経済から作られてるんだ。

 一機原発を作ると、6000億以上金が動く。これは美味しい仕事ですね。100万キロワットが一機でですよ。中国電力が新しいの作ろうとしてるでしょ、今。無情だね。

 それから、議員のレベルになると、国会議員で億の金が入るんだそうです。地方議員で何千万。その連中を見てりゃよく分かる。ありゃ原発推進してるなって。止められませんよ、そんな美味しい事は。

 田中角栄が首相になったのも分かりますね、今太閤でも何でもありませんよ。東京電力とくっついたからですよ。柏崎とかに、一ヶ所に800万キロワットを作ったから、これで首相になった。

 マスコミはバカだから今太閤とか言ってたけれど、バカもほどほどにしないとね。角栄が原発用地を土地転がししたルポルタージュを俺が初めて書いたんだけれどね、土地転がしをして一回引っくり返しゃ4億とかやってた訳ですよ、あの男は。それで自民党員に金を配ったんだよね。

 投票するに決まってるでしょ。俺が自民党員で国会議員だったら。田中先生って書くに決まってるじゃん。全て金。なんだこりゃ? これが巨大原子力産業なんだよ。ここからコマーシャル料ばっちり貰ってるから、こんな一番酷い問題が分かっていても書かないんだよ。報道しません。これからもしないでしょう。だから皆さんにやってもらうしかありません。これは国民がやるしかない問題です。マスコミは駄目ですよ。

 という訳で、ちょうどいい時間になりました。今日は本当にありがとうございました。

(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて)

樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(6)隠された被曝労働

さて、もう少し具体的に話をさせてください。

 まず、被曝の原点はなんと言っても岩佐嘉寿幸さんです。1974年のことですから、もう30年も前にさかのぼります。被曝の事実を知って私は岩佐さんのところに行きました。彼は怒ってました。私以上に怒ってました。最初はうちの中に入れてくれませんでした。

 「なんだ、オメーは! アサヒと同じか!」って言うもんだから、ぜんぜん分からない。それから「オメーは東京か」っていうから、「東京です」って答えると、「何やってんだ!」って言うんです。

 「実は四日市公害の取材を7年やって本を出したんです。こういう問題を実はやらないでどっかに逃げようかと思ったんですが、岩佐さんの裁判に一度は触れておかなくてはならんと、それから考えようと思って」って言うと「そうか、じゃあ上がれ」って言ったんです。それで怒ってる意味が分かったんです。

 ここに朝日新聞があります。1974年4月18日木曜日付け、「みんなの科学」欄。これ、何て書いてあったと思います? 「初の原子力炉被曝訴訟 謎だらけの皮膚炎」なんて書いてあるんですよ! まず、これを書いた記者を紹介しなきゃね。マスコミには、いろんなのがいるので。

 朝日新聞科学部に、東大哲学科を出た大熊由紀子って、後に論説委員にまでなった人がいるんです。その後どこに行ったかと思って尋ねたら朝日新聞にいないって言うから、テレビ朝日の連中に調べてもらったら、大阪大学の教授になってるの。その女性が書いた記事です。

 この記事で岩佐さん怒っちゃたんだよね。岩佐さんに取材なんかしてないんだよね。国側だけを取材したんだよ。こんな記者ありますか? いくら俺だってちゃんとしますよ。でもこの大先生、記者なのに一方通行。

 これで私も狂っちゃたんですよね。東大の哲学科まで出た、朝日新聞の科学部の記者がこんな記事書いて、これで真実なんか報道できるわけないじゃないかって。実はここで腹が決まったんですよ。「よーし、俺がやってやろうじゃないか」って。なんの力も金も頭もないけどさ、やれるところまでやってみようと。

それから悪戦苦闘です。だって何にも知らないんだから。岩佐さんにだってバカにされましたよ。「俺、100ミリレムしか浴びてねぇ。おい、お前分かるか?」って言うから「わかりません」って言うと、「お前、阪大の岡村日出夫って助手のところ行って勉強してこい」って言われたんですよ。

 「はい、わかりました」って、大阪に来て阪大に行ったんですよ。で先生に会って、「先生、放射科学について教えてください」って言ったら無料で教えてくれました。これが原点だったんです。岩佐さんに会わなかったら今、こんなことやってませんよ。

 それと、ジャーナリズムです。大の朝日ですよ。国民のほとんどは朝日新聞をとってます。信用してます。それがこんなことやってたんだから、最初から。これは面白くなると思いましたね。そしたら面白くなっちゃった。それで、このあと、この女、逃げ回ってたんです。

 岩佐さんとテレビ朝日に呼ばれたことがあったんですけど、その時、テレビ朝日に、「この記者出せよ、お前たちのとこのもんだろう」って言ったんですけど、結局逃げちゃったんですよね。樋口と岩佐に噛みつかれたら損だと思ったんでしょう、頭のいい人だから。

 さて、岩佐さんはそれから11年間闘いました。知らなかったでしょ? 1974年4月15日に大阪地裁に提訴して、それから、最初の判決は1980年3月30日、全面棄却。

 当たり前じゃないですか。これを支援した人はどれくらいだったと思います? 全国ネットで138人しかいない。僕も含めて。これじゃあ裁判は勝てませんよね。それから高裁、最高裁に行って全部棄却でした。

 時代が悪かったね、70年代だもの。高度経済成長の時代、「何を言ってるんだ」ってもんでしょう。それでも、これを見続けよう、伝え続けようと決心しました。もう、売れる写真家になろうなんて考えなかったね。これが俺の生き方まで決めてくれました。

 そして、岩佐さんの後を引き取ったのが、西淀川に住んでる、長尾光明さんです。78歳。この人が今、東京電力を相手に提訴しています。何かの時には、署名してください、お願いしますよ。

 そいうことで、岩佐さんと出会って次に言われたことは、「おい、樋口さん、お前知ってるか? 金の出る裁判があるんだ」って。まさか原発会社がそんな汚いもんだとは思ってもみなかった。クリーン、安全、現代科学の粋を集めたって言ってるでしょ、一方では。だから金で裁判するなんて思ってもみなかった。俺も能天気だったね、当時は。

 僕だって最初は国が言うとおり信じてたんですから。クリーンで安全で、わずかな恨みを生んでも、何十万キロワット発電できたらいいじゃないかって思うくらいのレベルだったんですから。それが原点ですよ、言ってみれば。ここで懺悔しなきゃいけないと思います。たまたま岩佐さんに会わなかったらその程度で終わってたんですからね。

 で、岩佐さんから、「おい、樋口さん知ってるか? 琵琶湖の近くで、どのくらいの金かわからんけど、俺と裁判を共闘しようとしたら、奥さんが丸めこまれたかなんかで裁判をつぶされた奴がいるんだって。知ってるか?」って言われて、「知るわけないじゃないか! 岩佐さんは知ってるのか?」って聞いたら、「いや、岡村日出夫さんが言ってるんだ」って。

 岡村日出夫さんって人は今はもう事故で亡くなったんですが、この先生のところに行って聞けって、相手の住所も分かってるはずだからって言われて。岡村さんから住所を聞いて、その人のところに行ったんです。夜の7時くらいにやっと捜し当ててたんです。

 大阪の岡村先生と岩佐さんから紹介されて来ましたって言ったら、「はぁ?」なんて言ってね。そりゃあ「はぁ?」って言いますよね。変なのが来たって思ったでしょうね。

 「実は私、こういう者で、取材をさせていただきたいと思って来たのですが」って言うと、最初は迷惑って顔してましたよ。でもね、「岩佐さんが一生懸命裁判やっているのをご存知ですね」って言うと、「じゃあ、まあ入りなさい」と入れてくれました。

 すでに生活が破壊されてて、自分のわずかな田畑と家を手放して、借家に奥さんと女の子の子供3人と住んでました。子供はまだ小さくて、「一番下の子は俺が被曝してからできた子なんだよ。この子がいちばん気がかりだ」って言うんですよ。重い十字架を背負って生まれたんですよ。

 最初はお金の話は一度も出ませんでした。ところが、2度3度と行ったら、押入れの上から書類を持って見せてくれました。これが示談書だって。この書類を廃棄しろって言われてたんだけど、残してたんだって。600万円もらってもう終わったんだから書類を廃棄しろって言われてたけど、何かの役に立つかもしれんと残しておいたんだそうです。

 そしたらそこに部落解放同盟の名前が入ってたんです。ここが仲立ちしたんです。これはおそらく、村居さんが部落民だから、彼のために会社から金をとってやろうという思いで、金をとったんだと思いますよ。それで600万円を受け取ったんだろうね。1回の振り込み額はそれぞれ違いましたが、銀行振り込みで3回にわたって振り込んでありました。「村居さん、これを使ってもいいか」って言ったら、「これは真実だから使っていい」って言いました。勇気のある男がいたもんだね。感動しましたね。

 でもここで、なんてことだろう、なんでこの人たちもお金なんて受け取ったんだろうって思いましたね。このときは俺も泣いたよ。この社会って腐りきってるんじゃないかって。でも、そのあと部落解放同盟は被曝問題には絶対に手を出さなかった。

 これを知った大阪にある部落解放同盟の本部が、僕に村居さんについての原稿を書いてくださいっていってきました。二度とこういうことがあってはいけないからって。で、被曝労働について書きました。これで全国の解放同盟の人は僕の記事を読んだんでしょう。

 九州で講演したときに、解放同盟の青年が来て、「樋口さん、樋口さんの話は本当ですか?」って聞くんです。「嘘を言ったら一発でクビが飛ぶんだよ、俺らの世界は」って言いました。そしたら「間違いありませんか。そうですか、非常に残念です」っていうまじめな青年がいるもんです。これを契機にして、部落解放同盟は手を染めなかったんだよね。でも、よかったね。偉い人たちだと思います。もし、あれを隠蔽してたらもっといろんな問題が出たと思います。

 裁判を起こそうとして、村居さんの奥さんは丸めこまれちゃったんだよね。生活は逼迫してどん底にいたんですから。それで電力会社はね、奥さんに、「今、大阪で裁判を起こしてる人がいるけど、この裁判は長くなるよ」って、「あんたら裁判起こしたらどうなんの? お金のほうがいいだろう」ってまず奥さんを説得したわけです。本人よりも。本人が外出してる間に。本人はおそらく、先ほど話した岡村さんと裁判について話してたんでしょう。

 奥さんも生活に疲れきってね、本当にぼろぼろになって。そこを突かれたんですね。それでも村居さんは、いつも会えば「いや、女房が可愛そうだ」と、そうやって俺に言うわけですよ。奥さんを庇ってね。

 この裁判を潰す犯罪を担った一人が重松教授。「異常無し」とカルテに書いてしまった。この人は後にね、この問題が吹き出してきたから首つり自殺をしてます。いたたまれなくなったんだろうね。追求もされたんでしょう。「異常無し」カルテの裏は金。教授もたった百万円しかもらってないのにそんなカルテを書いちゃった。これは村井さんが職員から聞いてんだよ、駄目だな。

 もうひとつ、金で裁判潰されたケースは北九州の親方だよ。

この人ですよ! 「俺らがいい加減な検査や提携やってるから・・・ 3か月やそこらで点検なんか終わるかよ。きちんとやったら6か月や1年はかかるぞ、樋口さん」って言ってたのは。

 だから、去年の美浜原発の事故が起きたときは、「親方言った通りじゃねえか、肝心な所やってねえんだ」と僕は言いました。すげえね、これから一杯起きる可能性があるって事だ。

 この親方は、自分が入らなきゃ良かったのに真面目な男だったから。普通は労働者連れてくりゃ、その数だけピンハネする訳で。

 俺言ったの。「労働者は皆ピンハネしたんですか?」ってね。そしたら怒ってさ、「いや樋口さん、そう言うけどウチみたいな7人ぐらいの会社じゃ、こうしないと盆と暮れのボーナスも出せない。それはきちんとさせてもらってますよ」って。自分も働けばもっと金が入る訳でしょ。「ああ、すいません」って謝りましたよ。でもピンハネには違いないんだけどね。

 この人も裁判起こそうとしたんだけど、この人の時はすごかったね。暴力団が毎日、脅迫電話をかけて生活を脅かしたんですよ。それで奥さんがノイローゼになっちゃってね。

 最後は日立プラントがわざわざ行ってるんですよ。課長が本社から。親方に直接仕事を回していた、井上工業って下関のひ孫請け会社の社長といっしょに、親方の家に行って、強引に連れ出して。九州大学連れ込んで、ここで異常無しカルテまた書いた。

 わずか106万円で裁判潰しやがった。ひでえ事やってやがんな、この奴らは。その時の資料はちゃんと持ってますよ。まさに闇の世界。原発ってとんでもない事やってるんですよ。皆さん考えてるようなもんじゃないよ。

 俺は村居さんの所に最後に行ったのは95年だったけど、「樋口さん、俺もあれから周りの話を色々と聞いてる。3000万円もらった、4000万円もらった・・・ それで皆黙らされた。自分はわずか600万円だったから悲しみを表に出せる」って言ってました。

 こういう風に、現実に人を潰していく時に、必ず裏に医師達がいたんですよ。裏は取ってあるんだよね。先ほどの高校生のアルバイト、これは氷山の一角でしょう。労災認定はわずか6例だけど、岩佐訴訟が11年間闘ったおかげで、あの暗黒労働が引き出された訳ですよ。これで国の連中も、労働省も含めて、やっと6例を認定するようになったんだよね。でなきゃ労災認定なんか出来ません、しなかったと思います。岩佐さんが、そういう意味で先駆者なんだよ。

 でもこの数にJCOと去年の美浜は入ってませんよ。「原発被曝」じゃないから。それを入れると、3人と5人だから8人プラスだけどね。今までの被曝労災認定は、唯一長尾さんを除いて、全部白血病です。他のガンは全部不認定。

 他のガンを認めたら、「俺も助けろー、俺も助けろー」って、この国つぶれるでしょう。労災認定って、一人認定するといくら払うかご存じですか。1千万? 違う、3千万払うのよ、皆さん。もしこれをバカバカ認定してごらんなさい、国がつぶれちゃうよ。えらい事になってるんだよ。だから隠せるだけ隠そうとしてるんだって。それでバレたらバレたでしょうがないや、と。皆で責任とろうやって言ってるんじゃないんです。

 すべてが明らかになるのは、僕が死んだ後だ。その時に「樋口ってのが言ってたね?」ってなるんだ。コレ本当になるよ、なるに決まってるんだから。

 もっと知りたかったら俺の本の『闇に消された原発被曝者』、これを読んでいただきたい。たくさんの被曝者の証言が一杯入ってるから。色んな形で潰れていった連中、これはまた読んでいただきたい。俺ここで全部喋ると本が売れなくなるから止めた(笑)。冗談抜きで読んで下さい。

(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて)

樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(5)労働者が手作業で放射能を拭き取る

マスコミは今、大変ですから。広告料がなかったら自分たちの給料がでないんだから。そういうところに首を突っ込みたくないんですよ。みんな金ですよ。

 原発に、そういう連中がみんな巣くってて、とんでもないことが起きてることをみんな知らない。これは私が勝手に作った問題じゃないですよ。

 さっきの高校生、普通の労働者の5倍被曝して、それで一人が稼いだのが100万円くらい。で、みんなピンはねされてた。それで暴力団がやっていることが分かってきたんですよ。

 暴力団の親方は、人間をもっと連れて来い、もっと連れて来いってあおっている。そりゃあもっとつれて来いって言いますよね。2万円を毎日ピンはねしてたらいいんだから。自分は、「どこどこに何人ですね、わかりました」って言って人を突っ込んでいればいいんだから。今でも同じですよ。

 ついでに下請け労働者の作業内容も言って、本題に入っておしまいとします。それは、放射能の除洗作業です。ボロ雑巾で何もない床を拭くだけなんですよ。皆さん、想像してみてください。



 僕のこの写真がスクープになったんですよね。撮っちゃいけないところで撮ったんですよ。誓約書を破って撮った写真です。そうしなきゃね、マスコミなんてみんな記者クラブで、「はい、ここ撮ってください」って言われたところを一人が行って代表撮影するだけ。これじゃあね、何も写せるわけないじゃないですか。

 この写真撮ったとき、中では人海戦術でしたよ。写真には写ってないけど、むこうに3人、こっちに4人横にいるんだけどさ、これを見たとき原発ってのは何のことはない、人が動かしてるんだって思いましたね。ここに行く途中にも通路に、真っ赤な作業服着たマスクをつけた待機要員がはあはあって息苦しいんで肩で息をしてましたよ。凄まじいもんだったけど、写真を撮らせないように誓約書があったから撮らなかったけど。

 放射能の除洗、パイプの補修、パイプの掃除をやるとき、この作業服を毎日捨てたら何万円もするから、毎日、大型洗濯機で洗うんですって。この洗濯機のある部屋が、服についた放射能で、放射能の海みたいなところなんですって。こんな仕事他にある?

 それから、ヘドロ。その辺の家のヘドロ、ちょっと臭いけど、そんなもんはいいんです。死にゃあしない。この原発のヘドロは放射能ヘドロですよ。これをかい出しては核廃棄物処理運搬です。

 機械類の運搬、配電盤施設の点検、補修、サンダーがけ、溶接作業、他、すべての雑役でどのくらいの数になりますかって北九州の親方に聞いたんですよ。そしたら、300種以上にはなるだろうよって。でも俺ら手抜き作業してるから3ヶ月くらいの定期検査でいけるんだよって。手抜きをしてるんだって。そうでしょう、去年の美浜での事故見ればわかるでしょ。パイプが腐ってたのに28年もほったらかしにしてたんだから。ああいうのを手抜きって言うんですよ。

 おそらく、あれはほんとは8月14日に点検に入る予定だったわけでしょう。でも9日だったでしょ、事件が起きたの。あの日、なんであんなとこに入ってたんだろ、210人も。つまり、法律的にはこれから点検に入るにもかかわらず、もう点検をやらしてたんですよ。

 それでたまたま、あの会社の人があのパイプの点検やってたんだろうね、想像すると。だって、作業してるそのままの格好で蒸気にやられたって言ってるんだから。そのまんまで。ひどいね。

 こういう作業だけだって、これをやらなきゃ1日たりとも原発は動かないんだって。ここに労働者はみんな入ってるわけだから、定期検査は、とくに被曝がひどいんだけどさ、日常だってやってるんですよ。

 2003年までの資料しか国は出してきませんが、総労働者数が156万人を突破しました。原発に関わった労働者が四分の一、五分の一と見積もっても、40万人からの被曝者がいるんだって、この国には。で、わずか6例だけど、白血病に対して、労災が下りたんですが、あとの病気は切捨て。

 いや、白血病以外では1例だけです。大阪で裁判が起きてるのをご存知ですか? 長尾光明さんという78歳のおじいさんが四年半くらい、東京電力相手に裁判やってます。7000ミリレムも浴びてたんで労災認定が下りた。生きてるうちに労災認定うけたのはこの人だけです。

 この人が今、裁判を起こしてます。労災は認定されましたけどね、被曝の因果関係を明確にしようというので、大阪で裁判が起きてます。これを支援してやってくださいよ。署名とかね。

 力関係ですからね、裁判なんて。被曝労働者がいないんじゃなくて、いないことにしている体制だけなんだから。ほんとに、この被曝問題をやったらこの国はどうなるんだろう? こんなことほっといていいのか? 原爆だって何十万人ですが、これを超えてきますよ。長崎、広島は40万人ですよ。

 今朝のTBSラジオで女性評論家が言ってましたよ。「原発に反対する連中は電気を使うな」って。この無能な女に一回言ってやろうかって思ってるんですけどさ、一方通行ですよね。私みたいなのを呼べばいいんだけど、絶対呼びませんからね、ラジオもテレビも。真実を言う連中はみんなカット。ほどほどにうまいこと言ってる連中だけ、テレビやラジオに出るんですよ。いい加減な時代じゃないですか。すべてがいい加減。

 さあ、労働者の年間被曝線量は50ミリシーベルトです。僕は本気で被曝問題をやってる医者に尋ねたら、これは我慢線量でしかないんだって、労働者の。こんなの浴びつづけたら体がぼろぼろになりますよって言ってましたよ。なんでこんなに高い被曝を許してるんでしょう。ICRP、国際放射線防護委員会が20ミリシーベルトまで基準を下げてますよ。なんだ、これはいったい。日本は人殺し国家です。そう結論付けました私は。

 さあ、もうひとつ、2001年3月いっぱい、外国特派員協会で外国の特派員たちが僕の写真展をやってくれたんですよ。東京銀座のど真ん中にあるでしょ、有楽町の駅前にね。そこで講演したんですけど、これをいろんな新聞がよく書いてくれましたよ。とくによく書いてくれたのが、ロサンゼルスタイムスとスペインのエルムンドです。

 講演のとき、原発に入った時の写真もちゃんと持ってたんです。特集を組んでくれましたよ、両面で。これを、大阪で支援してくれる仲間たちが訳してくれました。

 講演に外国の記者は来てたのに、日本の記者は一人もきてませでしたね。わかりますね。余計なことに首をつっこんだら偉くなれない、どっかに飛ばされるのがオチだってことです。どうにもなりませんね。

(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて)

樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(4)16歳の少年も原発で働いていた

さて、ついでだから、労働形態も知っておいてください。この前近代的な労働形態を。現代科学の粋を集めた原発で、いかに差別がひどいかということを知ってほしいんです。

 まず、原発というのは電力会社、その下に元請けがあって、これが日本の経済を根底から支えている東芝であり、日立であり、三菱重工、住友です。これが労働組合を作ったら連合になる。連合は原発を造れと言うんです。「原発をやめろなんてとんでもない、我々の生活はどうなるんだ」と言うんです。

日立の労働組合の委員長に会ったら驚きましたね。どこの会社の社長かと思いましたよ。「これからは原子力の時代だ」と平気で言う。「何を言ってるんだバカ野郎!」って思いましたよ。労働組合の委員長がそんなこと言ってるんですからね。組合が人を救うわけがない。

 原発労働者の日当も言っておきますね。約7万円です。今でも。7万円というのは原発が労働者一人当たりに払う額です。それをピンはねしてみんなで食い物にしてるんです。

 7万円とだけ聞くと、7万円ももらってるのかとみんな言うんですよ。ここで但し書きをつけないといけない。「そんなにもらってるならいいじゃないか」という人がいたんですから、東京で。「7万円なら仕方ないじゃないですか」って。

 でも、このお金は原発からでるだけのこと。原発に入るって言っても、ただ入るだけじゃないですから。いろんな道具を持って入る。それでいろんなとこを修理する。それが300カウントを越えるとみんな廃棄処分してしまう。これは大変ですよ。一日に道具を山ほど捨てなくちゃならない。その代金もみんな7万円に含まれている。

 元請けから下請けがありますね。ここから下が貧しい労働者です。元請けにだけ労働組合があるだけです。これが連合。連合は、元請けの人たちはできるだけ原発に入れませんと言ってます。危険なところには入れませんと。日立の労働組合の鈴木という委員長が言ったんだから間違いない。

 何のことはない。我々は入らないけれども、下の連中は入れと言ってるんです。「お前たちは被曝要員だから、死んでもらいましょう」と言ってるようなもんですよ。

 下請けがあり、孫請けがあり、ひ孫請けがあり、人出し業がある。この大阪にも人出し業の親方がたくさんいます。親方が原発に労働者を送れば、労働者一人につき3万円が下りてきます。これを親方が2万円ピンはねするんです。労働者には1万円しか渡してないんです。

 7万円出たって、下に行くにしたがってみんなピンはねしていくんです。これは何も原発に限ったことじゃない。日本の企業は全部これですよ。三菱自動車の欠陥隠しがあったでしょう。どこが泣いたと思います? 下請けですよ、下請け。おかしいですよね、日本っていうのは。文句を言いたくっても言えないんですよ。

 それはいけません、言いましょう、人間はみんな平等だって憲法にも謳ってるじゃないですかって。なのに、なんでこんな階級があるんだってことですよね。皆さんに知ってもらいたいのは、そういうことです。1億2000万人、皆、平等じゃありません。約6000万人は下請けなんですよ。これをこき使って踏みにじって生きているのが今の日本ですよ。僕はそうやって40年間写真を撮ってきましたけど、それは一向に変わっていません。

 この親方についてですが、福井だとか、福島だとか、地方へ行くと、ここの親方は周辺の農民を抱え込んでみんな原発に送り込むんですよ。3万円もらって2万円ピンはねすれば、御殿も建ちますよ。

 福井で建設中の原発御殿を見ましたよ。ここの親方に、無理矢理取材を申し込みましたよ。仮名を条件に取材をしましたけど、矛盾だらけのことを言ってましたが、よく正直に話してくれたと思いますよ。「うまい飯を食うにはどうしたらいいんだ? かっこいいことばっかり言っちゃいらんねぇや」って。人間の幸せって何だろうって考えちゃいますね。

 この親方連中の中に、暴力団がだいぶ入り込んでますね。この話をついでだからしときますね、忘れちゃいけないから。かつて、京都府の綾部市で暴力団が高校生のアルバイトを原発労働に使ってたってたんです。これも知っておいてください。原発に入れるのは法律で18歳以上ですよ。このときの三人はみんな18歳未満だったんです。一人は16歳、あとの二人は17歳。なんで入れたと思いますか?

 原発に入るにはちゃんと住民票をとらないといけない。暴力団もこういうことだけは頭がいいんですね。18歳の先輩の住所を書いたんですよ。それで幽霊みたいな存在になっちゃったわけですよ。この高校生が被曝しちゃったんですよ。一般労働者の5倍の被曝をして捨てられちゃった。

 彼らを暴力団が使ってたんですよ。で、なぜこの事件が発覚したかというと、彼らが休みの日に遊んでて保護されたんだすよね。「お前たち何やってるんだ」と聞いたら、「原発に行ってた」っていうんですよ。入域カードを持ってたんでしょうね。それで警察がその住所に電話したんですよ。そしたら、「うちの子は行ってませんよ」って返事が返ってくる。当たり前ですよね、先輩の住所使って入ってたんだから。

 こんなケースがあったんですね。ここだけの話かと思ったら北海道でもあったんですよ。学校の先生は何を教えてたんでしょうね。平和利用だけ教えてたんですよ。今でも同じことやってるんじゃないかって思ってますけどね。

 原発労働者は20代が圧倒的ですからね、皆さん。地方には仕事がないから。じゃあ、とにかく一日1万円もらえるからって原発に行っちゃう。

 去年の美浜原発の事故を思い出してください、みんな若い人たちでしたでしょ。一番上が46歳、次が41歳、31歳、29歳だったでしょ。彼らが最初にみんな死んで、あとからもう一人亡くなりましたが、亀窟さんでしたっけ、彼も30歳だったでしょ。みんな若年労働者ですよ、みんな。

 未来があると思いますか? 未来無し。これを許していったらどうなるでしょう? 原発をやめる頃にこの問題が噴き出しますかね? いまは噴き出さないでしょうね、お金が欲しいから。

(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて)

タグ:樋口健二 原発 被曝労働

樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(3)第5福竜丸以外にも1000隻近く被曝

最初の頃、被曝労働の話をしたら、総評の連中、今の連合ですが、何だそりゃって言ってましたよ。連合はだめですよ。原発をやれと言ってるんですから。労働者が今や労働者を守らないとは何なんでしょう。許しがたいですね。

 さて、話をもどしますと、今、原発は53基あります。1995年時点で53基です。僕は写真学校や、ジャーナリストの学校で学生たちに教えるんですが、学生に原発はいくつあるかときくと、大概は15基か、多くて25基くらいかなと返事が返ってくるんです。

 「バカ、53基あるんだって」言うと、「え、そんなにあるんですか」っていうから、「そんなにあるんですかってもんじゃない、日本中埋め尽くしてるんだ」って言うと、学生たちはびっくりしてますね。そう、無関心なんですよね。この無関心が一番の敵なんですね。

 さて、原子力は「平和利用」、「安全」で「クリーン」というこの安全神話を誰が作ったんだといえば、マスコミが作ったんですよ。コンピュータ・ルームだけをテレビは映してたんですよね。

 たしかにコンピューター・ルームには被曝労働者なんていませんよ。エリートが座って壁を見てるだけですよ。これだけを写したら現代の科学の粋を集めた結晶ですよ。ところが、この向こう側に、労働者が大量に放り込まれてるんですよね。このことについては、もう少しあとから話しますね。

 さて、原子力が今このように広がって、次にプルトニウム社会を迎えたんですね。「もんじゅ」(高速増殖炉)がナトリウム火災事故を起こしてしばらく止まってたんですが、先日の最高裁で運転再開が決まりましたね。何を考えてるんですかね? 原子力はやめなきゃならない時代が来てるのに、「もんじゅ」はいい、やれやれなんて言って。政治の世界も、司法の世界も何も考えてない。つくづくそう思います。

 1966年から日本の社会ががっちりできてしまったんですよ。大切なのは経済なんですよね。エネルギーでもなんでもない。原発はただのエネルギー産業ですよ。この原子力の時代が日本では長すぎる。外国ではもう原子力はやめましょうと、ほとんどの国がやめてるじゃないですか。

 ドイツなんかすごいですよ、あっさり原発をやめたんですから。そのドイツの人たちが私に賞をくれたんですよ。国内と外国で一生懸命、被曝問題をやってるからということで。なのに日本では無視してるんですから、どうにもなりませんね。

 さて、原発ですが、電力会社の言い分では原発を改良したんですって。電力会社に行って話しを聞いたら、改良しましたって言うんだから。つまり、原発は最初、アメリカから輸入されたんですよ。なんでこんなもの輸入したと思いますか? 誰がこんなものを持ってきたんでしょう?

 一番先に、原子力で市民権を得た男がいたでしょう? かっての読売新聞の社主ですよ。正力松太郎。あれはA級戦犯ですよ。戦後、追放されてたんですよ。それで、なんとか自分の市民権を得たい、と考えたんですよ。で、何をいちばん最初に考えたと思います? 野球ですよ。戦後、アメリカからシールズっていう二軍の球団を連れてきたんですよ。みんな喜びましたよね。私もよく憶えてるんですが。そうやってアメリカの野球を日本に紹介した。これで名を挙げたんだよね。

 それともうひとつ、原発を持ってきたんですよ、あの男は。これで完全に市民権を得たんですよ。これで公職追放が解けたから、偉ぶりはじめたんですよね。これに田中角栄とか中曽根とか、首相になるような連中がついてくるんですよね。

 さて、アメリカに二大原子力産業があることを皆さんご存知でしょう。ゼネラル・エレクトリック(GE)とウェスチング・ハウス。それぞれが沸騰水型軽水炉と加圧水型軽水炉を作った。ちなみに関西電力は加圧水型ですね。

 ゼネラルはモルガン財閥、ウェスチングはロックフェラー財閥の傘下なんですよ。電力会社が原発を動かしてるわけじゃない。どこの国でも財閥がやってるんですよ。

 ところで、なんでこんなもの造ったと思いますか? 原発っていうのはつまり核実験ですよ。アメリカは太平洋で核実験を130回以上やってるでしょ。南太平洋なんかで。それで、国際世論が、核実験をやめろと言ったんですよね。

 そのいちばんの問題が第5福竜丸ですよ。報道されたのはあの一隻だけだったでしょ。ところが、実際は1000隻近くの被曝船があったんですよね。皆さんご存知でしたか? その被曝マグロは日本に持ってきて全部埋めたんですよ。知らなかったでしょう。みんなアメリカの力で抑えたんですよね。でも、読売の23歳の若い記者が焼津でスクープしたんですよね。そこから大問題になって、手がつけられなくなったから、あとは全部抑えて隠したんですよ。

 そこで、この核をなんとかしなくてはいけないということで出てきたのが、原発なんですよ。原発は核兵器から生まれたんですよね。核兵器とは兄弟ですよ。

 日本では沸騰水型をGEから、三井商事が持ち込んで、三井グループのトップ企業である東芝と、東京原子力グループに日立が入ってるんですが、ここが沸騰水型のプラントをそれぞれ日本国内で造った。これに日本原電、東京電力、東北電力、中部電力、中国電力、北陸電力が系列になってますね。

 ウェスチング・ハウスの加圧水型は、三菱商事が持ち込んでいた。で、三菱重工が神戸で本体を造ってるんですよ。そしてプラントを持ち、原発をつくり、美浜原発、大飯原発、高浜原発を各地で建設した。悪の権化みたいな会社ですね。四国電力は、伊方原発、九州電力は川内原発、玄海原発、北海道電力が泊原発、その上に、動燃の「ふげん」、「常陽」、「もんじゅ」。

 すごいですね、原子力産業というのは。これでジャーナリズムを抑えているだけのことなんですよ。被曝労働者が少ないからじゃないんですよ。いちばん人間を殺してるから、これを本気で報道されたら原発は止まりますよ、本当に。

 日本のマスコミはすごいんですから。テレビを見てくださいよ。全国ネットですよ。朝日、毎日放送、産経グループ、読売、みんな全国ネットのメディアでしょ。これにラジオ、その上にみんな出版部門を持ってるでしょう。それで新聞5大紙なんて言うんですよ。

 でも内容なんて何もないですよ。小さくったって真実伝える方がいいんですけどね。さらに地方紙があって、機関紙があって、たとえば日本共産党なんか650万部って最大部数出してますよね。でも、ここが困るんですよね。民主主義と言いながら原発を認めてしまってるんですから。

 さて、まさに原発は輸入から始まって、今や原発はすべて国産原発になった。国産になったから大変なんですよね。輸入しているうちに止めればよかった。でも、そのころは、みんな大したことないと思ってたんですよね。平和利用だと思ってたから。

 平和利用じゃないと言ったのはわずかしかいなかった。その頃、僕なんかなんと言われてたか。「異端なカメラマン」なんて言われてたんですよ。異端だって。真実を追究してたのに。

(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて)

樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(2)40万人もの労働者が被曝した

さて、本題に入りましょう。先ずですね、小学校の授業のようなことから始めます。私は、ジャーナリストですんで、どなたにも分かりやすく話さなきゃならない。これは原点ですよね。

 では、まず明治維新から始めましょう。ここから紐解けば簡単なんですよね。原発から始めちゃうから若い人はみんな、「もういい」という反応をしてしまうんですよね。そうじゃなくて、もっと面白い話をしなくちゃね。

日本っていうのは270年も江戸時代が続いたんですよね。考えたら異常ですよね。幕府が270年も続くなんて。

 いつの時代でもそうなんですが、革命が必要なんですよね。今も革命が必要じゃないですか? すべて腐りきっちゃった。学校も腐り、企業も腐り、民衆まで腐っちゃたんだよね。本来はここで革命が起きなきゃいけないんですよ、本当は。でも革命が起きないんだよね。(笑い)

 何故だか分かりますか? 学校なんですよ。教育がワンパターンで悪いことばっかり教えてるんだから。原発の本当のことなんて学校でひとつも教えないんですから。

 僕ね、ある高校へ呼ばれたんですよ。でも僕がしゃべってるようなことはひとつも言っちゃいけないし、おくびにも出しちゃいけないって先生たちがそう言うもんだから、「あんたたちが間違ってるんじゃないか!」、「教育者がきちんと教えなかったらどうするんだ!」って言ってやりましたよ。そしたら小さくなってましたよ。

 「人間、生きることは闘いですよ」って言ってやりましたよ。僕も闘ってきたから生きてこれたんですよ。私、あと2年で70歳ですが、死ぬまで闘い続けてやろうと思っていますよ。のたうち回ってね。僕が今、闘いをやめたらコロッと逝っちゃうんですよ。本当ですよ。ただの爺さんになっちゃうんだから。だから闘いつづけましょう。

 さて、日本も明治維新という時には、やっぱり若い人たちが闘ったんですよね。じい様たちじゃないんですよね。そして、外国に追いつけ追い越せというのは良かったんだけど、どこかが間違っていたんですよね。人間教育をもっとしなくちゃいけなかったんだけど、金儲けばっかり勉強してしまったんですよ。ここが間違いだったんです。

 まず、近代の幕開けは、欧米に追いつけ追い越せだったんですよね。でも欧米はとんでもなく違ってたんですよね、ビルだらけだったんだから。トンネルは掘ってるし、列車は走ってるし。で、この時代の日本といえば、みんな草鞋をはいて歩いてたんだから、大変ですよね。一刻も早く道路を造れ、トンネルを掘れとなったんですよね。で、なにより欧米列強に追いつくには鉄が必要だっていうことになったんですよね。すべてはここから始まったんですよ。

 それで、石炭が日本にもあるだろうということで掘ってみるとあったんですよね。筑豊地帯、宇部炭鉱、北海道と。ここで掘りまくっていったんですよね。これが近代の幕開けですよ。ここで、財閥が形成されたんですよ。三井炭鉱、三菱炭鉱、みんなそうだったでしょう。これ以外にもコンツェルンがどんどん出てきて、明治政府が力をつけて、それで戦争やろう、戦争やろう、こんな小さい国じゃダメだ、みんな奪ってしまえ、みたいになった。みんな鉄から始まったことじゃないですか。

 まずは、石炭で財閥が形成されたわけです。燃える石。鉄を溶かすためには単なる石炭ではだめだった。これをコークスにして、鉄を溶かしたんですよ。そして、軍艦を造り、戦車を造り、鉄砲玉をどんどん造って、軽薄にも戦争をやっちゃうんですよね、この国は。

 日清、日露なんて戦争してね、勝たなきゃよかったものを勝っちゃったんだからね。ここでも間違いが起きたんですよね。他人の国に行って戦争したくせに、いま何を言ってると思いますか? 右翼文化人から始まって、「あれは正しい戦争だった」なんて言ってるんです。中国や韓国に「お前たちが悪いんじゃないか」って言ってる。どうなってるんでしょうね? 世の中恐ろしいですね。嘘も百回言えば本当になっちゃうんですよね。昔からそういうこともありますからね。日本はとんでもない方向に動いてます。原発も同じです。

 さて、石炭からいよいよ60年代に入りますと、石油ですよ。これがどんどん出てきたんですよね。ここで切り替わるんですが、みんな利権が付きまとうんですよ。それがコンビナート列島。さて、なぜ私がこんなことを始めたのか、一緒に話をさせてください。

 私は四日市公害からこの矛盾した日本の現実に飛び込まざるを得なかったんです。1966年のことです。

 石油のおかげで日本は豊かになってきました。豊かになったとはいっても、実は豊かでも何でもないじゃないですか。あれは何だったんだろうって。夢と幻だったんですよね、実は。

 そして人間性をみんなどこかに置いてきちゃった。今の子供の姿を見れば分かりますね。今、日本列島ではどうなってると思いますか? 日常的に人を殺すなんて僕らの世代じゃありえないことですよ。親が子を、子が親を、孫まで殺してしまう。想像がつかない世界に来ていますね。日本人は何かを置いてきちゃった。つまり人間性を置いてきちゃった。これはすべてに、いろんなところに波及してますよ。教育からなにまで。原発がその象徴なんですよ。

 どこかに人間性を置き去りにしたまま大もうけした。持ったことのない金が日本中にあふれ出たんじゃないですか。それでついにバブル崩壊までいってしまったんですね。

 1966年のことですよ、原子力に切り替わっていくのが。1966年7月25日のことです、東海原発第一号炉に火が入ったのが。

 このときのマスコミは恥ずかしいよね、私もマスコミの一員として。新聞はどんなことを書いてると思います? 次代を担うとかね、安全でクリーンだとか、みんな書きまくってたんだよね。その裏で被曝はすぐに始まってるんですよね。でも、そんなことはひとつも報道しようとはしない。今もしません。何にもしません。やってないから困るんですよね。国民が知らないだけのことで。僕に言わせれば、原発の最大のアキレス腱は被曝労働者ですよ。

 今、40万人の人が、被曝してるんですよ。これをほったらかしにしている国民も含めて、この国は何だろう? これで文明国家と言えるのかと、毎日つくづく自問自答してますよ、自分も含めてね。

 じゃあ、せめて自分は写真を撮り、この苦しみを伝えることしかできないけれどもやっていこうと。そのくらいの能力しかないから。そうやって、やってきたら30年も経ってしまった。

 でも何一つ変わりはしない。悲しいけれども変わらない。でも、やりつづけたことで、こうやって皆さんとお会いできた。これは大きい収穫ですね。

(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて)

樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(1)巨大原子力産業がマスコミをコントロールしている

皆さん、こんばんは。紹介を頂きました樋口です。よろしくお願いします。

 私は三十数年間、被曝労働だけを追ってきました。原発の問題というのは様々ありますね。「もんじゅ」をはじめ、JCOの臨界事故や、核廃棄物問題とか、地震まで含めると様々ありますけれども、私にとって労働者の被曝問題はどうにも避けて通れませんでした。

 それというのも、僕の被曝問題の原点は、この大阪なんですよ、皆さん。



 皆さんももう、ご存知かと思いますが、2001年10月10日に亡くなられた岩佐嘉寿幸さんという方が、わが国初の原発被曝裁判を起こした方です。裁判は1974年4月15日から始まりました。

 岩佐さんが実際に被曝したのは、1971年5月27日、敦賀原発でした。わずか2時間半で、右側のひざに腫瘍ができる放射線被曝を受けました。この岩佐さんの訴えに対して、国も原発関係者も、さらに東大の教授まで出てきて、被曝が原因ではないという政治判断を下していったすごい時代がありました。

 時代を振り返ると、70年代というのは高度経済成長に向けて日本がまっしぐらな時です。この時は、やっぱり原発というのは説得力があったんですよね。エネルギーはいくらあっても必要な時だったんです。

 でも今は、どこも工場をぶっ壊してるのに、どうして原発が必要なんですか? 日本に原発なんかひとつもなくていいんです。

 今物を作っているのは中国や東南アジアですよ。あるいは、トヨタなんかみんなアメリカで作ってますよ。日本では物は作れません。何故作れないかというと、労働力が高いからですよね。人件費が安いところにみんな工場をもっていってるから電力なんて要らないんですよ。

 しかもこの国は地震大国なのにビルをバカバカ建ててるでしょう。ここ大阪もそうだけど、東京なんかひどいもんじゃないですか。ニューヨークのマンハッタン以上ですよ。これを建てたのにはね、理由があるんですよ。それは電気を使うためですよ。日本人は僕も含めてみんなバカなことやってますよね。

 だから、本当はもう電気は要らないんですよ。それよりも、労働者を殺すことをやめましょうと、今日は訴えに来ました。

 大阪でもたくさんの労働者が原発を渡り歩いています。本当にすさまじいもんです。僕の集めた資料だってすごいもんですよ。今日はちょっとしか持ってこなかったんですが、資料を見るとすさまじいことが分かりますよ。

 原発は全国の労働者を必要としていますから。何百万という人間が原発には必要なんですから。この話をしないから、みんな原発はコンピュータで動いているという認識を持ってしまったんですよ。それはマスコミがそのように報じたから。

 僕に言わせると、いちばん悪かったのはジャーナリズムです。今日はジャーナリストの方はいらっしゃいませんか? なぜ、こんなことをしたんでしょう? 真実を伝えるのがジャーナリズムですよ。僕はその真実を伝えるために三十数年かかっています。

 日本のマスコミが伝えない理由は簡単なんですよ。日本のジャーナリズムは、NHKも含め全部、国や企業から金をもらっているんですよね。だから本当のことを報道できないんですよ。皆さんの視聴率の影響なんてわずかなもんですよ。みんな原発から金をもらってるんですよね。巨大原子力産業です。

 ところで、皆さん、原発をどのように思っておられましたか? 原発というのは電力会社がやっていると思っていたでしょう? 電力会社が電気をつくるのは当たり前だと思っていらっしゃるでしょう。

 ところが現実はそうじゃないんですよね。三井グループ、三菱グループ、住友グループ、この三大財閥が、原子力を根底から支えているんです。

 これじゃあ、かないませんよね。ジャーナリズムなんか簡単に抑えてこれたわけですよね。その上に東京原子力グループなど、日本には原子力グループが5つあって、日本の政治を根底から支えているんですからちょっとやそっとじゃかないませんよ。だから、30年経とうが、40年経とうが原子力が止まらなかったのはそういうことなんですよ。

(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて)